真実はすでに告げられている(2)
真我についてもう少し説明してみる。
それは自分の心の中心にいる存在のことだ。
誰にでも例外なくこの真我が心に宿っている。
このことは真実だが、誰もその真実を知らずにいる。
真我はほとんどの人にとって存在しないように見える。
しかし、真我がなければ、誰ひとりとしてこの世界に存在できないのだ。
これほどの重要な真実が長い間見過ごされてきている。
ただし、この真我を理解することが一筋縄ではいかないのも事実だ。
そのひとつの理由は、実際に真我を知っても何の利益も得られないからだ。
それで自分の抱えている問題を解決したり、願望を達成させることもできない。
幸せになったり、心地いい世界に招かれることもない。
そのため多くの人は真剣に真我を求めるという気持ちになれないのだ。
現実に自分にとって利益がないならば、それに時間を割こうとは思わない。
誰でも自分の利益になることに対して人生の時間を使いたいものだ。
もちろん、それは大切なことであり全面的に否定するつもりはない。
ただし、そうして求めたものは目の前を流れる河のように過ぎ去っていく。
たとえそう知っていたとしても、その代わりに真我を知ろうとも思わない。
多くの人は手にしたものの儚さを自分の宿命だと思うのだ。
そうして、何も手にすることなくこの世界を去ることに美学さえも感じている。
しかし、現実にはそういうことは起こらない。
真我は決して自分から去ることがないからだ。
しかし、それを知らなければ、すべてをそこで失ったと思い込むだろう。
そしてまた何かを得る快楽を求めて、この世界に舞い戻ることを決意するのだ。
真我はいつもでも無視されたまま、人々は何かを得る快楽に浸ることだけを望んで生きる。
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