真実はすでに告げられている(1)
最後にどんな言葉を残すべきなのか。
私の人生には様々なことが起こったが、いまそのすべては過ぎ去った。
時はただ早足で駆け抜けて、ここに残っているものはたったひとつしかない。
残っているものは、私がここにいるということだけだ。
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私が世界から手に入れたと思っていたものはただの幻想に過ぎなかった。
それは世界から貸し与えられていて、最後には必ず返すことになるということだ。
私は何かを手に入れたようで、結局何ひとつ手にしていなかった。
いつでもただの貧しいひとりの人間だったのだ。
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そんな私に言えることがひつだけある。
私は拠り所にできる確かな自分を見つけたということだ。
私は世界の誰かや何かを手に入れて、それを拠り所にする必要がない。
世界から何かを手に入れなければならないという呪縛から解き放たれたのだ。
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いま私はこのただひとつの真実だけを理解している。
世界の物事は透明な風のように、私の身体や心を通り過ぎていく。
私はそれを静かに見送っている。
それで悲しいわけではなく、それどころかそれを望んでもいる。
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私にとって、これ以上のことは何もない。
どんなに魅力的で豊かな人生さえ、この真実を見失っているなら何の意味もないと思える。
人生で得たものはどんなものでも必ず失われるのだ。
しかし、この真実だけは決して私から失われることがない。
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この真実は真我とも呼ばれている。
真我とは決して失われない本当の自分という意味だ。
重要なことはそれが何と呼ばれるかではない。
それを自分で実際に感じて、それが現実だと知ることだ。
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この世界で唯一失われないものは真我だけだ。
私はその真我を見つけて、それそのものになった。
それがどうしたと言われるかもしれない。
真我になっても世界から得られるものは何ひとつないのだ。
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しかし、これが人間としての完全性の実現なのだ。
この実現こそが、人間が長い間失ってきた最高の叡智。
人によっては無意味なことに見えるかもしれない。
そう見られても、私はこれ以上のことが私に起こることはないと知っている。
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多分、ほとんどの人が私の言っていることが理解できないだろう。
高い精神性を言い表す言葉としては理解できるかもしれない。
しかし、言葉だけでは実感として真我に共感することはできない。
真我であるという現実がなければ、結局、言葉は空虚な妄想でしかないのだ。
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