最後の教えはあの夜に語られた(7)
『在る』だけが誰でも共通して感じられるものであり、それは多種多様な空想や妄想とは違っています。
確かかどうかという点でも『在る』は他のものとは違って、まさに明らかだと認められます。
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『在る』は知性です。
何の知識もありませんが、すべての知識が生まれたところであり、知識はそれによってつくられています。
ですから、知識がこの知性を超えることは決してありません。
『在る』は知識になる前の純粋な知性であり、それ自身は何も知りません。
ただ、それは生き生きとして、いつも自分を分かっているのです。
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『在る』は愛です。
『在る』は誰も愛しませんが、そこは愛するものと愛されるものがひとつになる場所です。
そこでひとつになった愛は完全な成就を迎えます。
そこに愛するものと愛されるものといった分離はありません。
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ですから、愛するということも『在る』にはありません。
これが究極の愛の姿であり、それにまさる愛はないのです。
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『在る』は祈りです。
『在る』は何も祈りませんが、そこには祈るものと祈られるものがひとつになる場所です。
そこでひとつになった祈りは完全な成就を迎えます。
そこに祈るものと祈られるものといった分離はありません。
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ですから、祈るということも『在る』にはありません。
これが究極の祈りの姿であり、それにまさる祈りはありません。
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『在る』は幸福です。
そこに幸福感はないかもしれません。
幸福が何かを満たされるときに起こる状態だとすれば、『在る』は常にその状態にあります。
むしろ、それしか『在る』にはないのです。
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『在る』は何かが不足しているということはなく、これからも不足することもありません。
いつでも完全な状態でいるため、何かを求める必要もありません。
つまり、これは究極的な幸福の状態にあるということです。
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