最後の教えはあの夜に語られた(4)
つまり、あなたも『在る』だということです。
哲学者や預言者は自分の本質を『真我』と言いますが、
それはこの『在る』と同じことを指しています。
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すべては『在る』であり、『在る』ではないものはこの世界に何ひとつありません。
預言者が『すべては平等である』といったのは、この『在る』のことです。
見えている姿形は違っていても、そこに個別性があるように思えても、突き詰めれば、すべてこの『在る』なのです。
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私がこの『在る』についてお話するのには理由があります。
それはとても大事なことでありながら、知らない人があまりにも多いからです。
そして、知っていても、正しく理解している人が少ないのです。
ですから、ここであなたに『在る』の真実をお伝えしていきます。
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『在る』にはいくつかの性質と呼べるものがあります。
そのひとつが『在る』には性質がないということです。
性質がない性質、つまりこれは私たち側から理解できる『在る』の姿です。
私たちには性質があるので、性質がないということを概念的に理解することができます。
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しかし、それを真実として目の当たりにすることはありません。
性質がないものなど、この世界にはないからです。
それでも『在る』には明らかに性質がないのです。
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『在る』には形がなく、色もありません。
何らかのエネルギーを発しているわけでもありません。
それが『在る』であり、この世界で見られるような性質がどこにも見当たりません。
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そのため、『在る』を見ることはできません。
見ることだけでなく、五感でとらえることができません。
それは世界にある何かのような対象ではないからです。
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『在る』は主体自身です。
主体は客観になることができないため、五感でとらえる対象には成り得ません。
しかし、『在る』を感じることはできます。
あなたが主体としての『在る』でいることは分かるのです。
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