あるがままの自分でいること:瞑想哲学

あるがままの自分とは、自分の知識や能力のことではない。それは自分の財力や人格のことでもない。それらは作り上げられた自分以外のものであり、自分の本質ではない。あるがままの自分は純粋な存在であり、いつでも変わらずにそうであるものだ。

あるがままの自分とはどんな自分でしょうか。私たちは自分というものがよく分かっていません。そのため人生をかけて自分を見つけようとします。その自分探しは、自分の心の中ではなく、世界の中で行われます。私たちは世界を旅したり、何かの能力を高めたり、特別な経験をしたりすることで、そこに自分自身を見つけようとするのです。


そして見つけた何かができる自分、何かを知っている自分が、自分自身としてアイデンティティを持つようになります。それは間違いではありませんが、あるがままの自分ではありません。どちらかというと、それは作られた自分です。


私たちは素晴らしい人になりたいと思っても、それほど簡単になれるわけではありません。落ち着いた心でいようとしても、感情に流されたり、問題を解決しようとしても、失敗して自身を失ったり、病気がなかなか治らない苦しさを抱えたりします。それもある意味、あるがままの自分自身のような気がします。それが現実の自分自身だからです。でも、それらもあるがままの自分ではありません。それは自分の状況を説明しているだけです。


では、あるがままの自分とはどんな自分なのでしょうか。それは心の中にあります。心の中にいつも存在していて、自分の状況を眺めています。私たちはそのあるがままの自分をひとつの状況のように客観的に見ることができません。それは自分自身ですから、客観的に見ることができる対象ではないのです。


もし、これが自分自身だと思うものがあるなら、それが客観的なものであれば、すべて自分自身ではありません。自分自身が客観的な対象になるはずがないのです。あるがままの自分とは何も無い自分です。どんな能力も知識も感情や性格もありません。それは、ほとんど無と言っていい存在です。


それは世界の体験に比べれば、それは貧しく、退屈で、無意味に感じられます。それでも、あるがままの自分はそうでなければなりません。ただ、私たちはそんなあるがままの自分が自分自身のように感じられません。そのため、あるがままの自分とはそういうものだと言われても、別の自分自身を作り上げたくなります。でも、それは客観的なものなので、あるがままの自分ではありません。どれだけ客観的な自分を作り上げても、その質を高めても、それは自分自身にならないのです。


あるがままの自分はただ存在しています。それは純粋な存在そのものです。それは作り上げるものではなく、いまでもそうあることです。私たちは、今までそんなあるがままの自分に気がついてませんでした。自分が求めている状態がすぐそこにあるのに、私たちはそれを無視して、世界からそれを探そうとしたり、作り上げようとします。それは、そこにあるあるがままの自分を自分の決めた価値として認めていないからです。


私たちは、自分として価値あるもの、知識や能力、財力などを認めてきました。あるがままの自分にはそういったものがまったくないので、私たちはあるがままの自分を価値あるものだと知らずに、無視したり、排除したりしてきたのです。


あるがままの自分とは純粋な存在そのものだと私たちが知ったとしても、私たちはそれを自分にとって大事な位置にはつけないでしょう。それをひとつのスピリチュアルな教えという知識にとどめて、私たちは相変わらず世界に自分を探し求めます。


あるがままの自分とは実際に価値が低いものなのでしょうか。もし私たちが自分を作り上げようとしているなら、その価値の低いものになります。でも、あるがままの自分は世界を存在させている基盤そのものなのです。どれだけ世界から素晴らしい物を集めたとしても、それらは世界の基盤のカケラにもなりません。世界から何かを自分にしようと集めるなら、私たちは収集活動を果てしなく続けることになります。


もし、私たちが自分の中のあるがままの自分に気がついたなら、私たちはそれと同化し、同時に全宇宙になります。全宇宙どころか、宇宙を包んでいる存在そのものになります。私たちはあるがままの自分を知ることで、全宇宙を手に入れるのです。果てしなく続くと思われた収集活動は、これで終わりになります。


私たちは、いまでもそんなあるがままの自分でいます。ただ、それに気がつかなかったり、無視したりしているだけです。ですから、あるがままの自分を見つけることは簡単なことです。それを難しくしている私たちの根拠のない価値判断を変えればいいのです。


私たちの真実とは何でしょうか。それは、この瞬間にここに存在しているということです。自分がここに存在していることは誰も否定できません。その存在はどこにいるのでしょうか。それは私たちの心の中の真ん中にいます。心の真ん中にいて、自分のみならず世界全体を存在させています。これがあるがままの自分自身の姿です。

空風瞑想

空風瞑想は忘れてしまった本当の自分を取り戻す瞑想法です。瞑想の中で、今まで気が付かなかった心の新しい扉を開き、静寂でありながらも存在に満ち溢れ、完全に目覚めている本当の自分をそこに見つけていきます。そこを自分の拠り所にするとき、新しい自分の人生が始まっていきます。