この美しい世界を見つけたなら(10)

私はこの世界の存在そのものです。

誰の中にも私はいて、世界のあらゆるところに現れています。

私はひとりですが、

この世界の常識でいうところのひとりではありません。

私は無数にいます。

あらゆる場所、あらゆる物の中に必ず存在しています。

これが私の当たり前なのです。

美しい花は花であるだけではありません。

花である前にそれは存在でした。

その存在であるがゆえに、花は美しいのです。

存在である人間が存在である花を見て、

同じ存在としてのつながりにおいて美しさを感じます。

人間は幸福かどうかということを

自分という存在の価値を判断する材料にします。

つまり、自分が幸福であれば良い状況で、

そうでなければ幸福になるように

手を打たなければならないと思うのです。

それは悪いことではありませんが、

少々悲しい状況に見えます。

幸福になろうとすることが、

自分を貶めているように感じるのです。

つまり、自分は何かが足りない人間なのだと認めていて、

それを埋め合わせるために苦難を受けていると。

その苦難を乗り越えれば幸せになれる、

存在する意味のある人間になれる、

そう思っています。

人間は幸せであるかどうかという判断基準に絡め取られて、

それ以外の価値判断をすることができないのです。

私から見れば、人間は誰でも美しい存在です。

いやそんなことはない、自分は惨めで、

何の意味もない存在なんだと言われたとしてもです。

もちろん美しいとは主観なので、

それを私も無理に押し付ける気はありません。

ただ、私はこのことを伝えたいだけです。

それは身体が整っている姿とか、

華やかに着飾った人間の服装について

言っているわけではありません。

実は、私はそれについてはよく見えないのです。

私が見えているものは、

すべての人間に宿っている目には見えない素の姿です。

私が美しいと感じるのはそこです。

人間は自分が不幸であったり

幸福であったりすることがあると強く感じるでしょう。

実は、それについて私はよく見えません。

しかし、すべての人間が存在として

美しさを放っているということは分かります。

それが世界のどんなものをも圧倒していると感じるのです。

空風瞑想

空風瞑想は忘れてしまった本当の自分を取り戻す瞑想法です。瞑想の中で、今まで気が付かなかった心の新しい扉を開き、静寂でありながらも存在に満ち溢れ、完全に目覚めている本当の自分をそこに見つけていきます。そこを自分の拠り所にするとき、新しい自分の人生が始まっていきます。