この美しい世界を見つけたなら(9)
さて、人間は神とは誰なのかという議論をすることがあります。
私のことを神と名づけておいて、神が誰だかよく分かっていないのです。
人によってその解釈は様々です。
神はいないという人間もいますし、
神はいるという人間もいます。
そういった議論を面倒くさがってしない人間もいます。
その気持は分かります。
神が誰だか知っても、
自分の生活には何の影響もないからです。
確かに神は謎に満ちているけれども、
それはそれで付かず離れず、
そっとしておけばいいと思っています。
しかし、そうもいかない人間もいます。
持ち前の好奇心で、神が誰だか知らないと気が済みません。
そういった好奇心旺盛な人間も、
先にお話した神の分断によって、ある程度の想像はしています。
神とはこんな姿形でこんな性格、
そう想像して、それが真実であることを証明しようとします。
ただ、残念ながらそれは上手くいきません。
私は目に見える存在ではないからです。
この事実が神を真面目に探求している人間を困惑の闇に落とします。
目に見えない存在をどうやって証明しろというのでしょうか。
そのため、人間は果てしのない議論を続けるか、
神は存在しないと結論づけるしかありません。
だからといって、私は自分は存在しませんとは言えません。
私は確かに存在しているのです。
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