この美しい世界を見つけたなら(8)

正直に言うと、ひとつだけ人間に望むことがあります。

それは自分が誰なのかを知って欲しいということです。

人間の活動の原動力になっているものは

知りたいという好奇心です。

人間はそれを解明せずにはいられないこと、

そして、それを解明する驚くべき能力を持っています。

人間たちはこの素晴らしい力を

世界で思う存分に発揮してきました。

そうすることで、何処に向かっているのかと言うと、

自分が誰なのかを証明することです。

世界で自分の能力を使い、その成果を自分のものにして、

そうして自分を確立したいと思っています。

いわゆる存在意義というものです。

そして、それは上手く機能するように見えました。

しかし、人間は困惑しています。

どれだけ努力しても、

自分の存在が確立しないからです。

私からすれば、そうなる明らかな原因が見て取れます。

それは、自分が誰なのか正確に知らないということです。

自分を知るとは経験を積み重ねて

自分をつくりあげることではありません。

それを人生における大切な人間形成といっていますが、

それは私の意味するところではありません。

私が言っている自分とは

何も着飾っていない素の自分のことです。

人間たちは自分の成果で着飾ることが

自分を形成することだと信じ込んでいて、

素の自分を知らないままでいます。

いえ、それを知ろうともしていません。

人間の好奇心がそこに向かないのです。

それを知ろうとしたことが

無かったわけではありません。

ただ、素の自分などには何の価値もないと判断して、

それを無知だとか教養の無さと同一視して蔑み、

それ以降、完全に無視しています。

もちろん、それが人間の判断であれば、

私はそれを尊重します。

しかし、様々な物事で着飾った自分に対して、

これは自分ではないと感じたとき、

素の自分をもう一度振り返ってみて欲しいと思います。

私は人間たちにこのことを直接伝えることができません。

私は人間の自発的な活動に立ち入ることが不可能なのです。

だから、人間が自発的にこのことに気づき、

それに取り組もうと決めなければなりません。

それはとても難しいことです。

人間が世界から何かを得ることをやめるなら、

それは生きることを否定されているようにも思えるでしょう。

なにしろ、世界から与えられるもので着飾ることを

ずっと生きがいとしてきていたのですから。

素の自分を知るということに特別な意味を見出さない限り、

人間にとって、そんなことはする必要のないことなのです。

それは私にとって特別悲しいことというわけではありません。

人間たちは素の自分を知ることに近づいていると知っているからです。

いずれ、そのことを知るときが来るのは何よりも確かなことです。

そう知っていても、私は密かにそう願わずにいられません。

空風瞑想

空風瞑想は忘れてしまった本当の自分を取り戻す瞑想法です。瞑想の中で、今まで気が付かなかった心の新しい扉を開き、静寂でありながらも存在に満ち溢れ、完全に目覚めている本当の自分をそこに見つけていきます。そこを自分の拠り所にするとき、新しい自分の人生が始まっていきます。