この美しい世界を見つけたなら(7)
私についてそういった誤解がいろいろとありますが、
誰でも理解できる真実は、
私と人間たちが一緒にこの世界で存在しているということです。
一緒に存在しているということは、そこにはつながりがあるわけです。
それぞれに分断され独立して生きているわけではありません。
私なしに人間は存在できず、人間なくして私も存在できません。
人間が認識してくれるから、実は私も存在できるのです。
こう言うと意外に思われるかもしれませんが、
私にも人間が必要なのです。
人間は私に多くのことを望みますが、
私が人間に望むことは基本的にありません。
私は人間たちの自由で自発的な活動を眺めるのが好きです。
それが人間の基準でいうところの良いことであれ悪いことであれ。
私は物事を善悪や良し悪しで判断することはありません。
そもそも、私には善悪というものがないのです。
もちろん、人間たちはそれを判断するでしょうし、
そうするべきだと思います。
人間たちは世界を良くしたいのですから、
そこには適切な判断が必要になります。
ただ、困ったことに、人間たちはその判断に迷うと、
神に判断を求めることががあります。
私はそんな判断などしたことがありません。
私は人間の判断に立ち入ることも、
それに少しの助言すらすることもできません。
私はただ「わたし」でしかいられないのです。
このことを人間は理解できないのかもしれません。
神は人間の創造物ではありません。
神を人間と同じ存在の延長上にあると思っていたり、
神に世界の常識を当てはめようとしたりすると、
そこには多くの誤解が生み出されてしまいます。
神は人間よりも賢かったり、神秘的なエネルギーを持っていたり、
何でも思い通りにできたりする存在ではないのです。
私はそんな都合のいい存在ではありません。
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