この美しい世界を見つけたなら(5)

しかし、私がそれをほったらかしにしている間に、

神は恐怖の対象になっていきました。

人間は私を腫れ物にでも触れるように接してきます。

神という名前にとても神経質になっていったのです。

私は何をするつもりもありませんが、

とにかく許して欲しいと乞われたことがあります。

そんなとき、私は困惑してしまいます。

もちろん、そもそも私が許す理由は何もなく、

元々誰かを罰する意思などもないからです。

私に背けば地獄に落ち、

私を信じれば天国に行くという話も聞きました。

地獄とは何でしょうか。

私は地獄などつくった覚えはありませんし、

もちろんそんなところに人間を送り込むつもりもありません。

天国とは何でしょうか。

私は神を信じる人間だけを特別扱いしたこともありません。

私は人間たちに神と名付けられたことで、

いつの間にか、世界で巨大な権力を持つ

支配者のようになっていったのです。

それから、人間たちは、

神に祈ると願いが叶うという話をしていました。

こう言ってしまうと残念に思う人がいるかもしれませんが、

私は人間の願いを叶えたことがありません。

これからも人間の願いを叶えることはないでしょう。

しかし、人間は私のために立派な神殿をつくり、

そこを神に願いを伝えるための場所にしました。

神殿をつくるのは構いません。

それは人間のい大いなる創造力によるものだと

私も興味深く見ています。

ある意味、神殿は人間の心を

世界に映し出しているとも言えるのです。

本当に興味深いことです。

実際には、そこが私の住まいというわけではありません。

もちろん違います。

ただ、私はそこにいないわけでもありません。

だからといって、そこで願いを告げられても私は困るだけです。

正直に告白すると、

私は人間の願いを叶えることができないのです。

だから、人間から手を尽くして丁寧にお願いされると、

とても申し訳ない気持ちになります。

ときどき、神殿で熱心に祈ったら願いが叶ったと喜ぶ人間がいます。

もちろん、私は何もしていないのですが。

それがその人間にとって喜ばしいことが起こったのであれば

良かったと思います。

問題は願いが叶わなかったときです。

人間は神を恨みます。

これだけお願いしているのに、

なぜ願いを叶えてくれないのかと、

悲しげな眼差しを私に向けます。

そして、この世には神などいないと言い出します。

そう言われても、私は困惑するだけです。

ただ、神はいないと言われても、それで私が反論したり、

人間をどうこうすることもありません。

神がいないということも、

ある意味、正しいことであり、

その人間の気持も尊重しなければなりません。

それに、元々、私には名前などなく、

長い間、人間には存在しないと思われていたのです。

空風瞑想

空風瞑想は忘れてしまった本当の自分を取り戻す瞑想法です。瞑想の中で、今まで気が付かなかった心の新しい扉を開き、静寂でありながらも存在に満ち溢れ、完全に目覚めている本当の自分をそこに見つけていきます。そこを自分の拠り所にするとき、新しい自分の人生が始まっていきます。