この美しい世界を見つけたなら(4)

ある日、誰かが私のことを神と呼びました。

それは私に与えられたいくつ目かの名前です。

人間たちはこの神という私の名前を

度々使うようになりました。

そして、私はこの世界のあちこちで

日々その名前で呼ばれるようになりました。

私はその名前にまんざらでもなかったのですが、

しばらくして、果たしてそれは

本当に私のことなのかと疑問に思うようになりました。

私が気になったことは、

言った覚えのないことを、

さも私が語ったかのように話す人間がいるということです。

たとえば、神に背けば

罰せられるという話を聞いたことがあります。

私は誰も罰したことがありません。

これからも、誰も罰することはないでしょう。

そもそも私に背くというのはどういいうことでしょうか。

私のことを本当に知っている人間などいないのに、

そんなことが分かるはずもありません。

それに、私には人間を罰する理由などひとつもないのです。

しかし、人間は痛い思いをすると

誰かに罰せられたと信じていて、

それが誰かというと神だというのです。

痛みは神に背いた罰になります。

実際には、人間が単に痛い思いをしているだけであり、

それは私が罰しているわけではありません。

神に罰せられたと思ったほうが

都合がいいのでしょうか。

人は誰かを痛い目にあわせることがあります。

そして、神から天罰が下ったのだと声高らかにいうのです。

どうも、自分が罰したと言うと問題があるとき、

神が罰したことにしようとしているふしがあります。

その人間は罰を与えた責任を私に課そうとしています。

罰を与えるのは神にしておいたほうが気楽なのでしょうか。

そんな人間の話が私のことではないことは明らかでした。

それはそれで、人間の都合もあるでしょうから

私の名前を使われることは構いません。

多少気にはなりましたが、私はそのままにしておきました。

それで私自身には何の問題もなかったからです。

空風瞑想

空風瞑想は忘れてしまった本当の自分を取り戻す瞑想法です。瞑想の中で、今まで気が付かなかった心の新しい扉を開き、静寂でありながらも存在に満ち溢れ、完全に目覚めている本当の自分をそこに見つけていきます。そこを自分の拠り所にするとき、新しい自分の人生が始まっていきます。