人生最大の目標:瞑想哲学

人生に目標を持って生きることは素晴らしいことだ。たとえ結果がどうあれ、人は目標を持つことで人生の意味を感じる。そして世界には目標にするべきことがたくさんある。だが、人生最大の目標は自分自身を知ることだ。これ以上の人生目標は存在しない。

私たちは人生に目標を持っています。その目標に向かって進んでいる人もいれば、目標は掲げているけど何もしていない人もいます。自力でそれを達成しようとする人もいれば、誰かの力で達成しようとする人もいます。いずれにしても、目標は私たちの人生に意味をもたらしてくれるものです。


その目標に進んでいるかどうかは別にしても、私たちは毎日生きていますから、どこかしらの結果に向かっています。その結果が目標と同じになるかもしれないし、違う場合もあります。あるいは、その目標と同じ結果に到達したとしても、自分が思い描いていた現実と違う場合もあります。


目標とは違った結果に到達したけれども、それで満足する場合もあります。人生の目標はなかなか自分の思い通りにはいかないものです。でも、それはそれで悪いことではありません。自分の努力がどんな結果になるのか、それを予測できないところにも人生の醍醐味があります。


人生の目標は人それぞれです。人の数だけ、いろいろな目標があります。私たちは皆、その目標に向かって生きています。もし、それぞれの目標を達成したなら、私たちはそれで満足するでしょうか。実際には、その先にまた新たな目標が生まれます。まるで蜃気楼を追いかけるように、目標を達成することは果てしない追求になります。


そのずっと先には何があるのでしょうか。私たちが目標を追いかけ続けて行き着く先はどこなのでしょうか。結局、私たちは目標を掲げた自分自身に戻ってきます。私たちは目標を掲げて、世界の中に何かを求めてきました。それは財産であり、人であり、評価であり、プライドだったりします。でも、それらは私たちの最終的な行き着く先ではありませんでした。


世界はそれらを私たちに与え、変化させ、それらを奪い去ります。私たちは生きている限り、そんな世界の変化に翻弄され、常に目標を掲げて、自分に不足していものを追いかけなければなりません。


人生はまるで終わりのない旅のようです。そんな追求することに明け暮れる人生は、それはそれで面白いかもしれません。そこに人生の意味を見出す人もいるでしょう。でも、私たちは人生目標の追求を終わらせることができます。


それを終わらせるための目標を持ち、それを達成することでそれは終わります。私たちの人生の一番の謎は、自分が誰かを知らないということです。私たちは自分自身を作り上げることを目標に掲げて、世界中にそれを求めてきましたが、完成することができません。


それを完成させられないと悟ったとき、私たちは自分自身に目を向けます。そうして、最後の最後は世界の果てではなく、自分自身に戻ってきます。そして、自分自身の中で自分を知ることを人生の最終目標にするのです。


目を閉じて静かに座って瞑想をします。心の中の喧騒をやり過ごして、私たちはそこにいる自分自身を見つけます。この自分自身を見つけた瞬間、私たちは自分自身を完成させます。人生最大の目標は達成されたのです。これ以上の目標達成は存在しません。


私たちはそこで人生最大の目標を達成したため、それ以外の目標を達成する必要はなくなります。ですが、まだ私たちは生きているので、何かしらの目標に向かって生きていきます。それがどんな結果であろうと、私たちは落胆しません。すでに最大の目標は達成されているからです。


結果は人生に起こる出来事です。私たちはそれを楽しんだり、悲しんだりします。それでも、自分自身が完成されていることは変わりません。私たちはそんな人生の出来事を生きてきた結果として受け入れます。


私たちはその出来事から自分自身を完成させようとはしません。それは既に完成されていて、何が起こっても何のほころびもないのです。私たちは世界の出来事から自分を見つけようとする果てしない追求から解放されたのです。


私たちは完成された自分自身を知っています。自分自身が誰かを知るということは、すべての出来事の上位に位置するものです。もし、私たちが人生最高の目標を掲げて生きたいと思うなら、それを自分自身を知ることにすればいいのです。


実際にはその目標を達成することは、それほど簡単ではないかもしれません。でも、それ以上の目標は存在しないので、挑戦しがいのある目標です。もし、あなたが世界の中に人生最大の目標が見つけられないと思ったなら、自分自身を知ることを目標とする時期が来ているかもしれません。

空風瞑想

空風瞑想は真我実現の瞑想法です。瞑想の中で今まで気づかなかった心の新しい扉を開き、静寂でありながらも存在に満ち溢れ、完全に目覚めている本当の自分をそこに見つけていきます。「私は誰か」の答えを見つけて、そこを自分の拠り所にするとき、新しい人自分としての生が始まっていくでしょう。