この美しい世界を見つけたなら(2)

あるとき、

ついに私は人間に見つかってしまいました。

そして、名前を聞かれました。

「あなたは誰なのでしょうか」

私は黙っていました。

そう黙ることが最善だと思ったのです。

私に名前があるとするなら、

黙ることが真実を告げていることになります。

しかし、黙っているだけでは

名乗っていることにはなりません。

それは分かっていました。

人間は私が答えるまでじっと待っていました。

私は人間を焦らすつもりではありませんでした。

私は気の毒に思って、

私は「わたし」ですと答えようとしました。

私は「わたし」であり、

それ以外の何者でもなかったからです。

ただ、そう答えるのも気が引けました。

人間はその答えにきっと困惑するに違いありません。

もちろん、それは名前ではありませんし、

多分、かなり奇妙なことに聞こえるでしょう。

もしかすると、

バカにされていると思われるかもしれません。

「私は今日、『わたし』という者と話をしてきた」

もし、正直にそう誰かに話をしたなら、

何のことを言っているのか分からないでしょう。

そんな話を聞かされる方も困ります。

困った顔をしてそうですかとしか言いようがありません。

少し想像力のある人であれば、

それはきっと心の中で自分と対話でもしたのだろうと、

そう思うかもしれません。

あれをしようかと考えれば、

もうひとりの自分がいやこれをしようとか。

それをやってしまえ、

いやそれはやめておいた方がいいぞとか。

「私」と話をしたと言えば、

そんな心の情景を思い浮かべることができます。

それは特別な出来事でも何でもなく、

人に話さなければならないようなことでもありません。

そんなことは誰にでもよくあることです。

ようは、私に名前がないために、

私と出会った人が誰と話したのかを説明するのに、

少し面倒な状況になるということです。

そんな人間の気持ちも分かりますが、

私は自分で自分に名前をつけることができません。

名前をつける必要性がまったくないからです。

結局、私は名乗ることなく、

黙っているしかありませんでした。

空風瞑想

空風瞑想は忘れてしまった本当の自分を取り戻す瞑想法です。瞑想の中で、今まで気が付かなかった心の新しい扉を開き、静寂でありながらも存在に満ち溢れ、完全に目覚めている本当の自分をそこに見つけていきます。そこを自分の拠り所にするとき、新しい自分の人生が始まっていきます。