悟った人が知っていること(13)
この悟りは今までの宗教や哲学とは
違うように見えるかもしれません。
しかし、悟りの視点からすると、
今までの宗教や哲学の新しい側面が見えてきます。
自分を誤解しているということが罪です。
そう誤解している間、
私は罪人であったということです。
悪行によって人は罪人になりますが、
その最悪の悪行は自分自身を誤解していることです。
このことが、すべてを捻じ曲げていました。
そうして捻じ曲げられた自分でいながら、
どう捻じ曲げたらいい捻れになるのかを悩んでいたのです。
それが自分の哲学さえなっていました。
私は自分のことをそう誤解していたと懺悔し、
何の捻れもない本当の自分を拠り所とすると誓いました。
そうして、私の罪は贖われていったのです。
そして、私は存在という場所に迎え入れられました。
私はそこで救済されたのです。
存在という場所こそ、この世界を超えた場所であり、
それはまさに天界と言えるところなのかもしれません。
もちろん、そこは今まで私が想像していた天界とは違います。
花畑もありませんし、蝶のように舞う天使もいません。
しかし、そこは想像をはるかに超えた世界でした。
そこで分かったことは、
私はすでに天界にいたということであり、
はじめから罪などなかったということです。
私は救済されたのではなく、
すでに完全な世界の中心に立っていたのです。
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