悟った人が知っていること(11)
悟りとは絶対的な境地です。
それは存在以外は何もないというところ。
絶対的ということは存在だけということです。
そのため、悟りというところでは幸福はありえません。
なぜなら、不幸がないからです。
同じように成功もありえません。
なぜなら、失敗がないからです。
善も悪もありません。
そこではすべて平等であり、何の偏りもありません。
それが本当の自分だということは残念でしょうか。
そこには心を喜ばせるような何の華やかさもありません。
悟りは自分の努力で創り出すものではありません。
ただ、自分の真実がそうだと知るだけのことです。
今までは自分で努力して何かを得るということが
私が行動する基本的な理由になっていました。
もちろん努力しないで得ることもあります。
それでも、そこには何かしらの力学が働いています。
本当の自分には努力も力学も必要ありません。
そうして自分を形づくる必要はないのです。
その本質として、何をせずともそうあります。
このことは私にとってとても幸運なことでした。
自分として完全になるためには、
本当の自分でいるだけでいいのです。
それは無理につくりだした幻想や妄想でもありません。
それが元々の自分だと言えるものなのです。
そのため、そこに真実を捻じ曲げなければならないような
心に罪悪感をもたせる何もありません。
私はそんな絶対的存在なのです。
どう調べてみてもそれが自分なのです。
そういった理解を重ねていきながら、
いつしか、私は悟りの混乱を乗り越えていました。
自分が絶対的な存在という、
ただそれだけという驚異的な真実に
私は目覚めたのです。
私は自分とは身体や心だという拠り所に
戻ろうと思えば戻ることができました。
悟りにはそんな自由もあるのです。
しかし、私はそれが不可能だということも理解していました。
自分が存在であることだけが、
あるがままの自然な私の姿で、
それ以外のどんな自分にもなることができなかったのです。
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