望みを叶えること:瞑想哲学

私たちは望みを持ち、それを叶えようとする。だが、望みが叶ったとしても不足感が残る。そのため、また望みを持って何かを手に入れようとする。私たちの本当の望みとは、この望み続ける呪いから解放されることだ。

私たちは何かの望みを持っていて、それが叶うことを夢見ています。そのために努力する人もいれば、単なる夢のままにしておく人もいるでしょう。それほど大げさなことでなくても、日々、私たちは何かしらの望みを持っていて、それが叶ったり、消えたりすることを経験しています。


望みとは一体何でしょうか。私たちはなぜ望みを持つのでしょうか。それは私たちに不足しているものがあり、それを埋めて満足したいと思っているからです。私たちは自分に不足しているものを見つけたなら、それを手に入れたくなります。これが望みを持つことの簡単な原理です。


私たちは経済的に不足であれば、金銭がもっとあることを望みます。そして金銭を手に入れる手段を考えて実行します。私たちが病気になったのなら、病気を治して健康になることを望みます。そしてその治療方法や薬を手に入れることを考えて実行します。私たちが望むことは金銭や健康だけに限らず、いつも何か不足していると感じています。毎日、空腹になれば食べ物を探すように、気が付くと何か不足しているものがあります。ですから、私たちにとって望みを叶える方法はとても大切なことなのです。


もし、効率よく望みを叶える方法があるなら、とても助かります。もし望みを叶える簡単な方法があれば、私たちはそれを知りたいと思うでしょう。それについて学んだり実際に試したりして、熱心に取り組みます。そうすれば私たちの望みが叶う確率は上がっていき、ついには不可能だと思っていた大きな望みさえ叶うようになります。


金銭的に裕福になり、健康体になり、素敵な家に住み、楽しい家族がいて、やりがいのある仕事を持ち、多くの人に認められ、私たちの人生は理想的な形になるかもしれません。そうして自分の望んだことをすべて叶えていったらどうなるでしょうか。それでもまだ私たちは毎日何かが不足していると考えています。もうこれ以上望む必要がないくらいに十分だとしてもです。


そうなると望みを叶えるということ自体が呪いのようになってきます。いくら望みを叶えても満足することなく、そこに不足感が残ります。私たちはまたまだ望みを叶える必要があると考えます。そんな気持ちを抑えて、現状で満足しようとすることもできます。でも、それは不足していることを我慢することであって、根本的な不足感を解決することにはなりません。どれだけ我慢しても、私たちは不足しているという現実を抱えたまま生きていくことになります。それは満足することとはかけ離れたことです。


私たちが不足感という呪いを解くためには、どうしても完全に満足するものを手に入れなければなりません。それはたったひとつしかありません。それはその望みを叶えたいと思っている自分自身を手に入れることです。瞑想することで、私たちは本当の自分自身を知ることができます。私たちが本当の自分自身を知って、それとひとつになることができたなら、私たちの根本的な望みはそこで終わります。


それは完全であって、それ以上の望むものはこの世界にありません。私たちは望みを叶えるために人生を駆け回る必要がなくなります。ただ、自分自身を手に入れたとしても、望むことは起こります。それは私たちのマインドが生きるための反射として起こしています。自分自身にとって、それが叶わなくても何の問題もありません。私たちは最後の望みをすでに完全な形で叶えたからです。


そこにはひとつ問題があります。私たちのマインドは本当の自分自身を知ることを望まないかもしれないということです。そのため、瞑想しても自分自身を無視して、そこに完全な望みが叶うことがあると理解できないかもしれません。


私たちの望みとは何でしょうか。それは不足しているものを手に入れることです。私たちはそれを世界に求めますが、世界のものを自分のものにすることはできません。それは借り物であって、所有権は世界にあるのです。たとえ自分のものだと思っていても、いつか世界に返す日が来ます。所有権が自分にあって、返す必要が無いものは何でしょうか。それは自分自身しかありません。そしてそれはいま私たちから失われた状態にあります。


実際には、私たちはそれを手にしながら、失くしてしまっていると思っています。私たちはその自分自身を取り戻すために、それが自分の手にあることを思い出さなければなりません。これが私たちの達成すべき正しい望みです。正しいことを望むまで、私たちは何度も不足しているものを世界から手に入れようとするでしょう。望みを叶えることとは、不足しているものを手に入れることではなく、不足感を終わらせるための正しい望みを見つけることなのです。

空風瞑想

空風瞑想は真我実現の瞑想法です。瞑想の中で今まで気づかなかった心の新しい扉を開き、静寂でありながらも存在に満ち溢れ、完全に目覚めている本当の自分をそこに見つけていきます。「私は誰か」の答えを見つけて、そこを自分の拠り所にするとき、新しい人自分としての生が始まっていくでしょう。