悟った人が知っていること(2)
それは、私にとって失敗だったのでしょうか。
私は悟りを得るために
人生の多くの時間を費やしてきました。
もし、期待したことが起こらないならば、
悟り自体が意味のないことである可能性があります。
自分にとって価値があると思ったからこそ、
私は悟りに向かって努力していったのです。
幸せになることが、私にとっての悟りの価値でした。
それが与えられなかったことは私を失望させました。
失望というよりも、
実際には人生に何の希望も持てないような
絶望感に近かったかもしれません。
私は悟りを得ることに人生を賭けていました。
それ以上に価値があるものはないと思ってきました。
そうして得た悟りに、
期待していた幸福への梯子を外されて、
私は何が起こっているのか理解できず途方に暮れたのです。
こんなことのために人生を賭けてきたのかと。
私は自分の貴重な人生を
無意味な時間に費やしてしまったのかもしれないと、
後悔にも似た気持ちになりました。
しかし、私は悟りによって、
自分の何かが変わったことに気づきました。
それはまだはっきりとはした何かではありませんでした。
そこで、私は自分の何が変わったのかを
じっくりと確かめることにしました。
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