悲しみの傷を抱えたままで(9)

あの悲しみの傷はというと、

それは私の心の中に依然として横たわっていました。

それは相変わらず、

決してそこから離れることはないだろうと

思わせるほどの粘着力を感じさせます。

それでも、私はそれほどの失望を感じなくなっていました。

私は自分が心ではないと知っているからです。

私は存在であり、

そこにはどんなに深い悲しみでさえ

入り込むことはできないと知っていました。

どんな悲しみも苦しさも、楽しさでさえその中には入れません。

どれだけの粘着力があっても、そこに張り付くこともできません。

私は円の中心の点ようなとても小さな存在になっていました。

そこから心を見て、身体を感じて、世界を生きていました。

悲しみはもはや自分の中のやっかいな問題ではありませんでした。

それが心に取り憑く深い病巣に見えたとしてもです。

私はそれをどうすればいいでしょうか。

私は何もする必要がありませんでした。

何かをする必要性さえ感じなかったのです。

むしろ、私はその悲しみに美しささえ感じました。

そこにそれがいて良いとさえ思えたのです。

心の中に悲しみがあっても、

私が存在であることに何の影響も与えません。

心の中がどれだけ荒れ狂っていようと、

どれだけ幸せに満ちていようと、

私が存在であることに何の問題もなく、

何の影響も与えなかったのです。

私は自分が存在であることを自然に受け入れてました。

それが真実だということを、

何度も確かめて十分に分かっていました。

だから、心の中から悲しみを排除する必要がなくなったのです。

それを排除しようとしたことがあったことすら、

今のとなっては信じられないことです。

これが古の預言者の話していたことだと気づきました。

預言者はいい加減なことを言っていたわけではなかったのです。

確かに悲しみは私から取り除かれました。

それは、悲しみを移動させるのではなく、

私が移動することでそうなるということです。

悲しみは決して心から離れることはないでしょう。

しかし、私は心から離れることができるのです。

そして、その離れた先は、

本来、私が居るべき場所でした。

そこにいることが、私にとって自然だったのです。

空風瞑想

空風瞑想は忘れてしまった本当の自分を取り戻す瞑想法です。瞑想の中で、今まで気が付かなかった心の新しい扉を開き、静寂でありながらも存在に満ち溢れ、完全に目覚めている本当の自分をそこに見つけていきます。そこを自分の拠り所にするとき、新しい自分の人生が始まっていきます。