悲しみの傷を抱えたままで(1)

生きていることが苦しくなることがあります。

そして、なぜ苦しまなければならないのか、

まったく理解することがでません。

そして、この理不尽さに満ちた人生は、

自分にとって価値があるとは思えなくなります。

なぜそうしてまで私はここで生きているのだろう。

かつて、私は度々そう思うことがありました。

理解されない寂しさ、誰にもわからない痛み、

縛られている息苦しさ、すべてが無意味に思える虚しさ、

そう感じることが格好悪いことだとしても、

そんな思いが私にないとはとても言えませんでした。

私にとってそれらは、

私の動きを鈍らせる重しになりました。

まるで心の中に湿った有機物が堆積していくような

そんな重さを感じさせる生々しい現実でした。

その重さが私の生の隅々に根を張り、

私を地の底へと縛り付けて弱るのを待っているのです。

しかし、人々は人生を前向きに明るく生きようと言います。

そんな悲しみに沈んでいる必要などない、

人生など考えようだと笑顔で説得されます。

そんなことが簡単にできるなら苦労はしません。

明るく幸せに生きている人には、

私のこの思いを想像することも

理解することもできるはずがありません。

私はそう思いながらも、

言われる通りに人生を幸せで前向きに生きようとしてみました。

悲しみ暮れて生きるよりは、

確かに明るく幸せに生きる方がましだと思ったからです。

いえ、正直に言えば、そうすることで、

私がこの悲しみから解放されて、

明るく楽しい人生を現実のものにできるなら、

それを手にしたいと願ったのです。

しかし、明るく前向きに生きようとしても、

私の生きることへの悲しみはなくなりませんでした。

その悲しみを忘れたり、覆いをかけることはできます。

ただ、それで悲しみがなくなったわけではありません。

それは私の中に依然として残されていて、

明るく楽しい気持ちの奥底で、

私の心にあの湿った重さを与え続けていました。

楽しい一日が終わったあとでさえ、

そんな悲しみの存在に気がつくと、

私はこんな思いをしながら、

なぜ自分が生きているのかまた分からなくなりました。

空風瞑想

空風瞑想は忘れてしまった本当の自分を取り戻す瞑想法です。瞑想の中で、今まで気が付かなかった心の新しい扉を開き、静寂でありながらも存在に満ち溢れ、完全に目覚めている本当の自分をそこに見つけていきます。そこを自分の拠り所にするとき、新しい自分の人生が始まっていきます。