愛を求めずにはいられない(5)

究極の愛とは愛さないことです。

愛する誰かを見つけて、その誰か愛でつながり、

そうなることで自分が完全になれば、

その完全が永遠になるのであれば、

もう愛は必要はなくなります。

この状態が究極の愛の姿であり、

そこにはひとつという自然な状態があるだけで、

愛とか愛することがありません。

愛する誰かとつながってひとつになったなら、

そこにはもう愛する誰かはいないのです。

そうなることが愛することの最終的な落ち着き先になります。

そのように愛を終わらせてくれる誰かに、

私はこの世界で出会うことはできそうにないと思いました。

そんな人に出会った人は誰もいません。

私の移ろいやすい愛は、

いつも心の中で空回りして終わりました。

これからも、愛する人が何度も現れるかもしれません。

そこに奇跡的な何かのつながりを感じるかもしれません。

その時は、それで完全になって満足かもしれません。

しかし、その愛で自分が完全な状態から変わっていくのなら、

それはきっと本当の愛ではないのです。

私は色あせていく愛を目の前にしてそう思いました。

私の愛はフラストレーションを抱えたまま、

その落ち着きどころを失って、

世界の中をうつろな目で浮遊しながらさまよっていたのです。

それでも、何もないよりはマシだと、

半ばあきらめの気持ちで、

不完全な愛に寄りかかり続けもしました。

私は、この愛もいつか変わっていくのだと知っていて、

それが取り返しのつかない痛みや悲しみに変わる前に

自分から切り離そうと構えるようになりました。

しかし、それが探している愛ではないと知りつつ、

そうして愛することを続けていくことに苦痛を感じてきました。

私はそうしていつまでも自分を騙し続けることはできません。

いま自分の手のしている愛を信じられないのなら、

もしかすると私は愛について、

何か根本的に間違えているのではないかと考えました。

空風瞑想

空風瞑想は真我実現の瞑想法です。瞑想の中で今まで気づかなかった心の新しい扉を開き、静寂でありながらも存在に満ち溢れ、完全に目覚めている本当の自分をそこに見つけていきます。「私は誰か」の答えを見つけて、そこを自分の拠り所にするとき、新しい人自分としての生が始まっていくでしょう。