ラマナ・サットサン 5月26日
ラマナ・サットサンではラマナが提唱してきた「私は誰か」をテーマに話をするようにしています。それとは違う話題が大半を占めたとしても、その中のどこかに「私は誰か」という話が少しでもあれば、それでサットサンの役割が果たせたと納得しています。
実際には、「私は誰か」について話をしても、それでその場で自分が誰かが分かるわけではありません。しかし、何かの気づきや新しい視点を得ることは出来るものです。サットサンはそれでいいのかなと。
そんなわけで、千駄ヶ谷でのサットサンはちょうど今回が11回目。来月のサットサンで、ちょうど1周年です。誰も参加しなくなったら止めようと思いつつ、気がついたら毎月の開催でここまで続けていました。
このサットサンはあえて特別なイベント感は排除しています。ノープランで始まり、私を含めた参加者が自然に話をすすめて内容を積み上げていきます。話がどこにいくのかハラハラするときもありますが、それも興味深いものです。もちろん、参加者は何かしなければならないこともなく、ずっと黙っていても構いません。それがその人のサットサンであるなら。
いまでも、誰もサットサンに参加しなくなったら止めようと思っています。その代り、誰かがラマナの言葉をもっと理解したいと参加するなら続けていきます。ラマナが伝えたかったことを、私がそのすべてを代弁できるとは思っていませんが、私の知りうる限りのことは伝えていこうと思っています。
いつもサットサンの最後に参加者全員で瞑想をするのですが、それがなかなかいい感じで、私の楽しみのひとつになっています。あの瞑想にはとても深い意味があるのです。。。
0コメント