愛を求めずにはいられない(3)
私は愛するという感情は、
基本的に良いものだと思っています。
もし、それがお互いに無条件で与え合うものなら、
そこに相手との美しいつながりが紡ぎ出されていきます。
しかし、愛することは強い感情であるため、
ややもするとそれが強い反作用を起こすことがあります。
それは愛することに条件がついているときに起こります。
もちろん条件がついているからと言って、
私はそれが愛として劣っているとは思いません。
その条件を守っているときはとても良好に愛は機能しています。
しかし、どちらかのその条件が変わってくると、
愛という名のもとに、愛とはまったく違った感情が生まれます。
愛することの条件が変わるとお互いの理解に微妙なずれが生じ、
そこで愛は憎しみや嫉妬といった感情へと変容していくのです。
それは条件が変わることにおいてだけでなく、
強すぎる愛においても起こりました。
強すぎる愛はひとつ間違うと、
修復不能な愛とは全く違うものを生み出してしまうのです。
そこに妄想が入り込んで、
理想化や束縛といったことが愛に取って代わられます。
私たちの愛する能力は基本的に良いものです。
しかし、突然、愛がその名のもとに、
真反対のものに変質することを経験すると、
ある意味、それは自分がいつも問題を引き起こす火種を
その手の中に抱えていると知ることになります。
私は愛によってそんな苦い経験をしました。
そして愛することを躊躇するようになりました。
そういった愛の関係が歪んでいくことを恐れて、
誰かからの愛にも疑いを感じたり、
それを拒んだりしました。
愛とは単純に自分に欠けている何かを
補いたいために生まれた感情ですが、
実際に愛することが
自分を壊していくという正反対の変容も起こすため、
私はそこ内包されている一種の複雑さを
理解することができずにいました。
それゆえに、愛が調和して機能しているときは、
確かに美しく輝いていますが、
それだけでない影をいつもその裏側に持っていて、
そこに私は愛に対して危険であるとか、
騙されるかもしれないという匂いを感じ取って、
完全に信頼を置くことができなくなっていたのです。
そう知っていても、私は愛を信頼していて、
誰かを愛したいと思っていました。
私は愛に依存したい気持を、
完全に消し去ることはできませんでした。
それしか、自分を完全にしてくれるものを知りませんし、
愛は自分という存在が持つ美しい性質だと信じたかったのです。
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