生きているという現実の中で(19)

私の存在によって世界はつくられています。

だから、世界のすべては存在しているのです。


私は存在としての自分として、

いつも自分で作られた世界を見ていました。


世界に親しみがあり、

そこに私が存在することを自然だと思えたのは、

それが自分自身だからでした。


そして、私が世界の中に不滅を探しているとき、

私はすでにそれを見つけていたのです。


探すことが出来るということ自体が、

自分がその存在だと知っていることなのです。


私は存在の世界にいながら、

人間として生きていたあの世界の全てになっていました。


私はこの真実を忘れていただけだったのです。


私は自分が誰かも分からない人間になった気になって、

同時にそんな記憶を失った人間に寄り添って、

いつでもあの本当の自分への道を見つけられるように、

黙って行先を指し示していました。


どんな人も道を間違うことはありません。

それはいつでも私が寄り添って道を示しているからです。


世界の中で楽しむことに夢中になり、

多少の寄り道はあるかもしれません。


本当の自分を見つけるための、

心の中のその道を行くことをためらったり、

それを疑ったり、そこから引き返したりもします。


本当の自分である私はそれを尊重します。


人間がどのように生きようとも、

それが私でなくなることはないからです。


時間がかかっても、それは何の問題もなかったのです。



つたえつぐ

つたえつぐの一覧。生きているという現実の中で(18) - 本当の自分は死ぬことがありません。さらに生まれたことさえありません。それは完全に静止した時間として、ずっと私の中に存在してきました。だから、もちろん輪廻転生することもありません。私が自分とはこの本当の自分なのだと気づいたとき、私は大きな輪が回るように循環する世界から自然に離れて、超然と存在するそれに戻っていきました。私は自分がこの存在だと知った瞬間、人間として生きる目的をこの世界で達成したのです。そして私はそこで全く新しい世界を発見しました。それは私が全く別の世界に転送されたわけではありません。今までの世界はそのままで幻だったかのように消え去るわけではありません。私がこの新しい世界自体になったとき、今まで私が生きていた世界と密接につながっていることに気づきました。この世界と今までの世界は別々の世界ではなかったのです。それは見た目は違えど、全く同じ世界といっても良いかもしれません。しかし、それは同質の世界ではありません。この世界を基盤にして、今までのあの世界が存在していたのです。本当の自分である私を素材として、今までの世界のあらゆるものが創造されていました。

空風瞑想

空風瞑想

空風瞑想は真我実現の瞑想法です。瞑想の中で今まで気づかなかった心の新しい扉を開き、静寂でありながらも存在に満ち溢れ、完全に目覚めている本当の自分をそこに見つけていきます。「私は誰か」の答えを見つけて、そこを自分の拠り所にするとき、新しい人自分としての生が始まっていくでしょう。