生きているという現実の中で(9)
ただ、私はこの人生に何かが欠けていると感じてはいました。
健康で裕福で楽しい毎日を過ごしているとしても、
そこには何かが欠けていて、そのために私の人生は、
いつまでも完成されないパズルのような物悲しさを含んでいました。
しかし、何が欠けているのかは分かりませんでした。
私はそれを見つけるために世界中を旅しました。
世界の何処かに自分を満足させてくれる何かが
あるはずだと思って探し回ったのです。
そしてたくさんの旅の経験をしました。
旅の経験は心を豊かにし、
貴重な景色の記憶を心に留めることができました。
しかし、それは探している何かではありませんでした。
次に私は知識を得ようとしました。
私には何か大切な知識が足りないのではないかと思ったのです。
たくさんの本を読み、芸術に親しみ、人の言葉に耳を傾けました。
それは自分の品格を形成し、私を賢い人間にしました。
しかし、それも探している何かではありませんでした。
私は心の豊かさが足りないのではないかと考えました。
そして、心の中を喜びと感謝と謙虚さで満たそうとしました。
心の中から悲しみや憎しみ、高慢さを排除していきました。
私は徳の高い人間になり、そこで心の豊かさを実感しました。
しかし、それすら探している何かではありませんでした。
私は自由が足りないのではないかと考えました。
私は自由な発想で、新しい物事を創造していきました。
それは心を達成感と喜びで高ぶらせ、
身も心も自由に開放された感じが起こりました。
何にもとらわれずに生きる自分がとても誇らしくなりました。
しかし、それも探している何かではありませんでした。
0コメント