生きているという現実の中で(7)

たとえ死んですべて失って、

また生まれ変わったとしても、

私は、それはそれで、また人生を楽しめる

新しいチャンスが与えられたと喜びました。


何度でも人生を楽しめることは、

きっと神が与えてくれた贈り物なんだと思いました。


それはとても納得できる人生に対する考え方です。

そうして人生を得られることに反対の人は誰もいません。


人生を生きるより良い方法があると聞いたなら、

私はそれを求めて世界中を旅しました。


誰もが当たり前のようにそうしています。

そうであるなら、自分がそうしない理由が見当たりません。


しかし、それでどれだけ素晴らしい人生を生きようとも、

現実に私は生まれ変わりの輪の中に

閉じ込められたままであることは変わりませんでした。


この輪から出る方法も分かりませんし、

そこから出ることに、

どれだけの価値があるかも知らないままです。


この輪から出ようとすることは、

ある意味、狂った行動にも思えました。


なぜ、この慣れ親しんだ環境を捨て去るようなことをするのか、

私は理解することなどできませんでした。


実際に、輪の中にいることはとても安心できることでした。

いつもの変わりない毎日が続くとしても、

何の不満も感じず、

むしろ、そこにいつもの日常があることを望んでいました。


私はそこに無理やり閉じ込められているという感覚もありません。

そんな私からすれば、

そこから逃れようとすることは理解に苦しむ考え方です。


人生には楽しいことがあり、

悲しいことさえも楽しいことの前触れだと思えば、

私は喜んでこの世界を受け入れることができたのです。




空風瞑想

空風瞑想は真我実現の瞑想法です。瞑想の中で今まで気づかなかった心の新しい扉を開き、静寂でありながらも存在に満ち溢れ、完全に目覚めている本当の自分をそこに見つけていきます。「私は誰か」の答えを見つけて、そこを自分の拠り所にするとき、新しい人自分としての生が始まっていくでしょう。