生きているという現実の中で(5)
人間として生まれてきたとき、
私には何の記憶もなく、まさに白紙の状態でした。
それでも人間として初めての経験のを積み上げていると、
満たされた人生を過ごすことができました。
ただ、その経験によって、
私に満たされた時間を過ごすことへの執着が起こり、
それが人生の目的として確立されることに
それほど多くの時間は必要ありませんでした。
私は満たされる何かを求めて生きている人生に、
何の疑問も抱きませんでした。
そうして、私は世界に様々な人生模様を描いては、
何度も何度も死んでいったのです。
さて、このような満たされることを求める人生で、
私は自分の本質とも言うべきその答えを見つけられるのか、
当時はまったくその道筋が見えていなかったと思います。
自分が生きている理由は、
満たされた人生を生きるために決まっていると
当然のごとく心に収まっていました。
満たされて幸せになる経験は鮮烈で印象深いものです。
私はまさに生きているからこそ感じられる
その醍醐味の虜になっていて、
それを求めることに何の疑いが起こるというのでしょうか。
私はその人生観はいつまでも変わらないと思いました。
実際に、満たされた人生は良いものでしたから。
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