本当の自分を知らずに生きている:瞑想哲学

私たちは自分自身を知らずに、自分の望みを叶えようとする。その望みが叶っても、それが誰の望みかを知ることはない。本当の自分を知ったときのみ、私たちの望みは完全になる。

本当の自分とは誰なのでしょうか。自分とは誰かと聞かれたなら、あなたは何と答えますか?それは聞くまでもなく、自分とは身体あるいは心だと答えるでしょう。実際に殆どの人は自分とは身体や心だと思って生きています。死ぬことを恐れるのは、自分が身体だと思っているからであり、安心を求めるのは自分が心だと思っているからです。


誰もが自分自身は大切ですから、身体が健康で、心穏やかでいられるための方法を探し求めます。そうして自分自身を守り、自分自身の質を高め、自分自身という確かな存在を作り上げようとします。身体が健康でいるために、どんな健康法がいいのか、健康でいるために何をするのかに気を配ります。そして、その結果、身体が健康でいられれば満足します。もし、身体が病気になったら自分が弱くなった気分になるでしょう。私たちは心が安心しているために、どんな考え方がいいのか、どんな気持ちで日々過ごせばいいかを学びます。そして、平和な気持ちでいることができれば満足します。もし、心が乱れるような状態になれば、自分の考え方が間違っていたと打ちひしがれるでしょう。


でも、身体と心は本当に自分自身なのでしょうか。私たち客観的に見えるものは自分自身ではないと知っています。手に持っている携帯電話は自分自身ではないし、着ている服も自分ではありません。それは自分の所有物だと感じています。私たちは身体も客観的に見ることが出来ます。手や足は客観的な対象です。心の中で何を考えているか知ることが出来ます。それも客観的な対象です。つまり身体も心も携帯電話や服と同じように所有物でしかないのです。


では本当の自分はどこにいるのでしょうか。それは客観的な対象を見ている存在です。でも、あなたはその存在を見ることが出来ません。なぜならそれは客観的なものではなく、主体だからです。主体は見ることが出来ません。目に見えないけど存在するもの、それが自分自身の正体です。それは見えなからといって無ではありません。無は何もない状態ですが、私たちは自分が存在していると知っています。たとえ何も持っていなくても、何も着ていなくても、眠っていても、何も考えていなくても、そこで自分がなくなっているわけではありません。


瞑想で静かに目を閉じて、思考や感覚をやり過ごして、何も無い空間のような状態になれば、そこに見えない自分自身がいることに気づくでしょう。これが自分自身です。あなたは自分がそんな自分自身であることを、身体や心が自分だという固定概念を超えて知ることが出来ます。

空風瞑想

空風瞑想は真我実現の瞑想法です。瞑想の中で今まで気づかなかった心の新しい扉を開き、静寂でありながらも存在に満ち溢れ、完全に目覚めている本当の自分をそこに見つけていきます。「私は誰か」の答えを見つけて、そこを自分の拠り所にするとき、新しい人自分としての生が始まっていくでしょう。