超人ザオタル(89)探究の道

本当の自分を知ることは簡単であり、難しくもあるものです。

古の師たちはそれが簡単であると言っています。

しかし、その言葉を真に受けて信じないことです。

それは本当の自分を知った師の言葉だということ。


ほとんどの師たちは壮絶な修練を経て、そこに至っています。

ただ、知ってしまえば、それが難しいものだという感覚は消えてしまいます。

それを得てしまえば、それは決して消えることがないのです。

そうなれば、それは師にとって簡単なことになります。


何もしなくても本当の自分を知ることができる。

いずれは、次元が変わってそうなるのだという話を聞いたことがあります。

そう信じたいのであれば、それはそれでいいかもしれませんが、

現実には瞑想で厳しい修練をしなければ、本当の自分は決して分かりません。


何も知らない状態から、突然、すべての真実を知ることは不可能です。

本当の自分を知ることは難しいものです。

実際にその理解に至るにはいくつもの障害があります。

その最たるものは自分が自我だという信念です。


この自我の信念は強力です。

初期に於ける気づきなど、簡単に消し飛ばされてしまうでしょう。

あるいは、自我は本当の自分の経験を奪い取って、自分の力にしようともします。

本当の自分という輝かしい勲章を手にれようとするのです。


ただ、本当の自分を知りたいという求めがあるなら、

この自我の問題は早かれ遅かれ乗り越えることができるでしょう。

本当の自分を知りたいという願いも強力なのです。

それが強烈であればあるほど、自我を超える大きな力となります。


さて、実際問題として瞑想で何をすればいいのか。

それはそこに存在しているという感覚をつかむことです。

これが本当の自分になります。

個人を超えた、個人の核となっている真実の自分。


つまり、真我と呼ばれているものです。

これがハルートの真実であり、私の真実だということ。

『私は誰か』の答えは、この存在だということです。

私は存在である。


これは言葉の理解ではなく、

瞑想中の感覚としての理解になります。

存在は『私は存在である』とは言わないでしょう。

無言で存在としているだけです。


この段階では、もはや探究をする必要はなくなります。

真我探究はここで終わるのです。

しかし、すべてが終わったわけではありません。

いや、むしろここからが始まりになります。


本当の自分は存在であると知ったあと、

それでは存在とは何かという問題が残ります。

存在のことを理解しなければ、本当に自分を理解したことにはなりません。

まだまだ、瞑想での探究は続いていくのです。


空風瞑想

空風瞑想は真我実現の瞑想法です。瞑想の中で今まで気づかなかった心の新しい扉を開き、静寂でありながらも存在に満ち溢れ、完全に目覚めている本当の自分をそこに見つけていきます。「私は誰か」の答えを見つけて、そこを自分の拠り所にするとき、新しい人自分としての生が始まっていくでしょう。