超人ザオタル(87)人を超える
人としてやれることには限界がある。
その限界を越えることは許されていないのだと考えます。
そこから先は神の領域。
人はその神聖な場所に足を踏み入れてはならないと。
これは神秘的な力のことを言っているわけではありません。
そんな力も人の能力の問題であり、人の範疇に制限されたものです。
何かの光を見たり、特別な何かを感じたりすることでもありません。
限界を超えるとは、そこをも超えるということです。
ここでの答えはまだこの時代の人々は出せていません。
すべての人とつながり、分かり合うことで
平和を生み出したいと願っているかもしれません。
しかしながら、それすらもできないのが現状です。
本当の自分を知らなければ、どうしたって悲観的な結果にしかならないでしょう。
つまり、人は力というのもを信奉し、それに頼りすぎたのです。
もちろん、それは悪いことではありません。
この世界はつまるところ力で動いているものですから。
しかしながら、それには限界があり、自分の求めに手が届くことはないのです。
自分とはいったい誰なのか。
人は何になれるのかではなく、まず誰なのかを知らなければならない。
世界を見渡すのではなく、自らの中心深くに戻らなければならない。
そうしなければ、あらゆる望みは絶たれたままになるということです」
私はそこで一息ついた。
それを見計らって、ハルートが口を開いた。
「人は自分が誰かを探そうとするのでしょうか、ザオタルさま」
部屋には濃密な静けさに満ちていた。
「人は誰もが自分を知りたいと思っていますよ、ハルート。
ただ、その方向が間違っていのるのです。
いや、間違っているという訳ではない。
その方向の途上にあるのです。
人には絶望ばかりがあるわけではないのです。
大いなる福音がそこにはあります。
それは自分が誰かの答えは自分の中にあるということ。
だから、求めればその答えは必ず見つけることができます。
ただ、そこに至るには道というものがあります。
そこで多くの間違いを犯し、勘違いをし失敗する。
そうしてつまずきながら、傷だらけになりながら歩いている。
それでも、道は確実に真実へと向かっています。
人生というものは失敗するためにあるのではありません。
自分は誰かという真実を自らの手で掴むためにあるのです。
それがすなわち成功であり、勝利なのです。
そうするまで、人は諦めることをしないでしょう。
なにしろ、道は今でも目の前にあるのですから。
しかし、その道には終りがあります。
多くの人は道に終りがあるとは思っていません。
自分が誰なのかを知れば、明確に道は終わります。
自分は誰なのかは人の根源的な疑問です。
それを忘れることなどできない。
その疑問があったから、人としての生を受け、
いまこの世界が存在するのですから。
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