神の声 第4章:星空の伝承(12)

師は私に言った。


身体や心は自分ではない。

なぜなら、それらは客観的に感じられるものだからだ。

自分のように感じているとしても、

それが客観的な対象になり得るなら、

それは自分に属するものであって、

本当の自分自身ではない。

例えて言うなら、それは身につけている服のようなもの。

服は自分のものだと言えるが、

決して自分自身ではないのだ。

だから、客観的でないものだけが、

本当の自分だということができる。


師の言うことは分かる。

だが、客観的でないものをどうやって探せば良いのか。

探すということが、もう客観的なものを対象にしている。

その理屈だと、探そうとしないで探さなければならない。

考えれば考えるほど混乱してくる。

やはり、こんな面倒なことは止めるべきなのか。


私は自分が誰かなど知らなくても生きていけるのだ。

それも気楽に楽しく生きていくことさえできる。

人生の楽しみが目の前にあるというのに、

何のためにこんなややこしいことを

しなければならないのかという考えが

心の中で声高に主張する。


ただ、私は自分でいるはずなのに、

自分が誰だか分からないということも

おかしな話だとは分かっていた。

私はいつも人生をどうやって生きていくかを考えてきた。

だが、誰がその人生を生きているのか知らないのだ。


本当の自分が誰かを知らないで生きる。

そのことは可能だが、

それでは自分の真ん中にポッカリと穴を開けたまま、

虚ろに生きている気がした。


私にとって一番大切なものはやはり自分自身だ。

その自分自身を知らないでいるということは、

生きていること自体の全体像が歪んでしまっている。

私は人生の価値をそこで失っていると思った。


そうはいっても、

本当の自分を知ることの価値も分からなかった。

そのことに価値はあるのだろうか。

本当の自分を知ることで、私の人生は変わるのだろうか。

私は心の闇を消し去って、

完全な人間になることができるのだろうか。

完全な人間になることに意味はあるのだろうか。


考えれば考えるほど、

そんな不確かなことがたくさんある状況で、

人生としての貴重な時間を

本当の自分を探すことに割いても良いのだろうかとも思う。


そうして、私は人生の中で本当の自分を見つけようとしたり、

やはり止めようと思ったりを何度も繰り返していった。

それこそ数え切れないくらい何度もだ。

私の前世を含めたすべての人生は、

このことの果てしない繰り返しだったと言っても過言ではない。

この迷いの壁を超えていくことは不可能にも思えた。


現実的な人生は有無を言わさず時と共に流れていく。

私は世界で生きていかなければならない。

仕事をして生活していかなければならないのだ。

どうすればより良い生活ができるのか、

何をすれば私は世界で満たされるのかが、

いつも人生の問題として私に迫ってくる。


そんな私の心の中で、

本当の自分とは誰なのかという疑問は、

川の底に引っかかった木の杭のように、

時の流れに取り残されたまま、

私の心の中で見え隠れしていた。


本当の自分とは誰なのか。

それは身体でも心でもない。

でも、現実的には身体や心として生きている。

そして本当の自分を知らなくても生きていける。

私の探求はそこから動くことができずに固まってしまった。


空風瞑想

空風瞑想は忘れてしまった本当の自分を取り戻す瞑想法です。瞑想の中で、今まで気が付かなかった心の新しい扉を開き、静寂でありながらも存在に満ち溢れ、完全に目覚めている本当の自分をそこに見つけていきます。そこを自分の拠り所にするとき、新しい自分の人生が始まっていきます。