神の声 第4章:星空の伝承(11)
心の闇という問題を抱えている私にとって
神の存在は唯一の希望だった。
神はいないと思った時の解放された気持ちは一時的で、
次第に喪失感が募り、私の心は暗く萎んでいった。
神はいないと思っても、
それで私の問題が解決したわけではないのだ。
これから何を拠所にすれば良いかも分からない。
私の毎日は淡々と続いていった。
神を信じていようといまいと、
朝が来て新しい一日が始まる。
このことは何も変わらなかった。
私はまるで時間の流れに乗る小舟のように、
何に逆らうでもなく日々を過ごしていった。
食事をして、仕事をして、人と話をする。
そうして一日を終えて眠りにつく。
私は相変わらず不完全なままだったが、
実際には、そう気にしなければどうということもない。
何気ないことで笑ったり、
仕事を終えてホッとしたりする時間に幸せを感じる。
求め過ぎなければ、ちょっとした事で満足できるものだ。
それはそれで、人間として生きていて良かったと思える。
小さく不完全な自分として生きていくことは、
別に恥ずかしいことではない。
むしろ、そんな自分を許して生きていくことは、
温かみがあり、とても人間らしい気がした。
心の闇の向こうのことなど忘れて、
神がいるかどうかも考えず生きていく。
日々の何気ない幸せに心を喜ばせて、
生きていて良かったと笑う。
こう思うことは、神を失った私の心の暗さに
少しだけ春のような光をもたらしてくれた。
だが、そんな日々の中で、時々私は思うのだ、
それで良いのかと。
そんな思いが心に起こると、
私は慌ててそれを打ち消そうとした。
それを考えることは苦しみに落ちることになる。
何度も試してきて、
そんなことを考えても何の答えもないと分かっている。
だから私は不完全さに留まり続けることに決めたのだ。
それでも、それで良いのかという思いは、
なかなか消えてくれない。
忘れた頃に、不意をついて私の心の中に現れる。
それはそれで、私の苦しみになっていった。
もうそんなことは考えたくないと、
無視したり、捨て去ったりしたが、
何度もそういうことが起こると、
放っておくだけという訳にはいかなくなる。
私は誰なのか、これが私が知らなければならないことだ。
それが心の闇の正体だ。
私はずっとこの質問を押し殺してきた。
それを知ることは危険だと避けてきた。
だが、それさえ知れば、
人生を楽しむことへの邪魔が消えて、
気持ちが晴れるのだ。
簡単なことだ。
自分とは誰なのかを知れば良い。
だが、自分が誰なのかという疑問は、
そう簡単に答えられるものではなかった。
そう質問されると、
何と答えて良いのか分からなくなる。
自分とは誰なのか。
そう問われれば、私はこの身体を指差すだろう。
自分とは身体なのか、それとも心なのか。
名前や性格、記憶、能力、信念なのか。
それら全部が自分なのか。
本当にそう言いきれるのか。
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