超人ザオタル(74)人間と根源
私の心の深いところから言葉が発せられた。
「人というものは不思議な潜在力を持っています。
それは完全性に至る可能性です。
その完全性は心の奥で密かに存在しています。
自分が誰なのかを求め始まったときに、
閉じていたそこへの扉が開いていきます。
それまでは世界という制限された場所でさまよい続けます。
アジタ殿が言われたように、
世界では人が完全性に至ることはないでしょう。
そうであるなら、完全性を求めることに意味があると
そう自分に言い聞かせるしかありません。
不完全でありながら、
その高みを目指す高潔な精神を持った人間、
そんな自分を誇らしく思う。
ただ、それは不完全であることに変わりはありません。
完全性の扉が開かれるとき、人はそこへと足を踏み入れます。
それがあの草原なのです。
アジタ殿も自分とは誰なのかを求めたはず。
だから、草原へと行き着いたのです。
そこで完全性を見つけられたでしょうか。
そこはまだ完全性への入り口に過ぎないのです。
草原をさまよい、そこで新たな道を見つけなければなりません。
その道は自分自身の中にあります。
ある意味、自分自身の中に同じ草原があるのです。
その草原が消えたところに完全性があります。
ただそこに至ったとき、人間ではなくなります。
自分を知るとは、自分が人間ではないと知ることなのです。
人間でないなら、何になるのでしょうか。
それは根源と呼ばれているこの世界の本体。
すべての発祥の地である源になるのです。
もちろん、その根源は誰の心の中にもあります。
だから、見つけようとすれば必ず見つかります。
それが完全な存在になるということです。
実際には、それへと自分が変容するわけではありません。
現実として、いつでも自分はそれだったと気づくことです。
そう、自分とは完璧を求めなくとも完璧だったのです。
これが真実です。
ただ、人間はこの世界の制限に縛られています。
自分が人間だと思っている限り、いつまでも不完全なままでしょう。
その不完全さを都合の良い哲学で飾り立てるかもしれません。
それは嘘偽りであり現実でないため、すぐに色あせてしまう。
根源は現実であり真実でもあるので、
決して消え去ることも色褪せることはないのです。
いくら人間がそれを捨て去ろうとしても不可能です。
なぜなら、その根源がなければ、人間でもいられなくなるのですから。
ただ、人はそれを見つけようとしなければなりません。
人間であることを捨ててでも、それを掴もうとしなければ、
自分が人間であるという偽りから逃れることはできないでしょう。
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