神の声 第3章:大樹の精霊(8)
「何よりも透き通った魂を持ち、すべてに寄り添う慈悲の主よ」
「世界の変化する物事の中には生命の本質がないということですか」
「いや、そこに本質はあるけれども、見かけではないということなのですね」
「私は世界の見かけだけを現実として生きてきました」
「そこで誰もが幸せで豊かさを保ちながら生きていくこと」
「それが生命の望みであり、目指すべき高みだと信じてきました」
「私は末永く大樹として生き」
「世界を見渡し続けたいと願っています」
「そうすることで生命たちの役に立ち」
「生命たちを豊かにし」
「幸福のうちに寿命を全うする生命たちの姿を見届けたいのです」
「人間たちでさえ」
「この世界で望みを叶えることを至上の喜びにしています」
「いつでも食に満たされ、あたたかな衣服、快適な住居があり」
「心満たされる仕事や知的好奇心を満足させる学びに心躍らせる」
「あなたでさえ、食事をして水を浴びて快適な状態を望んでいるはず」
「そして、この世界には生命の望むだけのものが豊かに存在しています」
「生命が願望を叶えるということは」
「世界に対しても計り知れない恩恵を与えます」
「生命の願望が世界を動かしていると言えるくらいです」
「本当の自分を知ることは、それ以上のことなのでしょうか」
「どんな願望よりも生命や世界を豊かにするものなのでしょうか」
精霊はそう男に尋ねた。
「偉大なる生命の潮流を身にまとい、その具現を司る偉大なる創造者よ」
「この世界ではどんなに小さな生命でも願望を持っています」
「それは単に生きることであったり」
「世界の物事をその手に収めることだったりします」
「豊かで快適であることは、生命の永遠の望みです」
「ただ、その願望の完結する所はどこなのでしょうか」
「どこまでも豊かさや快適さを求めることはできます」
「生命はどこまで願望を実現すれば完全に満足するでしょうか」
「空はどこまでも高く、どれだけその高みを目指しても」
「頂上というものがありません」
「それと同じように」
「この世界でどれだけ願望を実現させても」
「それだけで生命を完全に満足させることは不可能なのです」
「そもそも、願望が目指している所は願望の実現ではなく」
「願望が無い状態です」
「願望がなくなることこそ、願望の完全な成就なのです」
「願望がなくなってしまえば、それは生命の躍動を失うことになる」
「そうであったとしても、生命の最高の望みは叶うことになります」
「その状態というのは完全な静止です」
「生命が静止するとは死を意味するかもしれません」
「でも、生命の一番深い所は常に静止しています」
「その静止点があるからこそ、生命の活動があり得るのです」
「自分の心の奥底を探っていって」
「その静止点を見つけることが完全なる願望の実現になります」
「そこにおいては、もはや願望はありません」
「なぜなら、そこでは思考活動が一切起こらないからです」
「思考がなければ願望も起こりません」
「願望が起こらなければ、生命は満たされたままです」
「不足しているものなど、そこにいれば何も無いのです」
「この静止点こそ、本当の自分です」
「生命はそこで完全になります」
「ただ、そうは言っても」
「自分がその静止点から離れていけば」
「たちまち身体には欲求が起こり、心は満たされることを望み始めます」
「完全に満たされた本当の自分でいながらも」
「身体や心は不完全なまま、世界に何かを求めてしまいます」
「それでも、生命は本当の自分を保っていれば満たされ続けます」
「満たされることと満たされてないこと」
「この相反することが生命の中で起こっているようですが」
「このことは見事に均衡が取れています」
「生命は静止点という本当の自分で完全に満たされているため」
「身体や心が満たされいなくても問題ではありません」
「それがどれだけ世界の中に何かを渇望していようとも」
「願望が実現しようと、実現しなくても完全なのです」
「本当の自分を知ることは」
「この世界で何かを得て、喜びに満たされるということとは」
「根本的に違っています」
「それを世界の物差しで比べることはできません」
「世界のどんな物事をも超えた所にある真実」
「それが本当の自分なのです」
男は精霊にそう答えた。
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