超人ザオタル(57)真実への導き

その世界を超えた地点から見る世界はとても興味深いものだった。

あの草原は最終地そのものだった。

それは広大な土地と長い時間が含まれたひとつの領域だったのだ。

私が何を考えようと、私に何が起ころうとその領域は変わらない。


私はすでにそこにいて、その場所を探そうとしていた。

そこで普遍的な智慧が私に無言でその場所を示していたのだ。

私はそこで探すのをやめるべきだった。

だが、やめるためには個人的エゴの成熟が必要だった。


それでそう気づくまであてもなく草原をさまよったのだ。

大樹のイサトは存在の象徴であり私自身だった。

少年は私の純粋性を現していたし、大樹から動かないことも存在そのものだからだ。

ここに道はないとも言っていた。


それはここが終着地だということだ。

それでも少年は私の好きなようにやらせてくれた。

つまり存在にはそんな寛容性があるということだ。

忘れてはならないミスラのこと。


ミスラは私が道を行く義務があることの象徴だった。

義務として私に帯同したのだ。

そして私がその義務を果たすことになると消えてしまった。

私はそれを義務としてではなく、自ら求めるものと変えたのだ。


私はそこで草原を去るかもしれなかったし、ひとりならそうしただろう。

だが、結局は私の精神の成熟がそれをさせなかった。

それも見えないミスラの導きがあってのことだったと思う。

あるいはそれも普遍的な智慧の発露だったのかもしれない。


アムシャはもっと直接的な導師だった。

アムシャは私の中の隠れた疑問を掘り起こしてくれた。

瞑想の中でしか会っていないが、それも意味のあることだ。

真実を直接理解するには瞑想の中でしかありえない。


そこで私は言葉ではなく、一種の感覚でそれを捉えたのだ。

ここでのことも自分が存在であることを受け入れるための準備となった。

その受け入れができると見るや、アムシャも消えてしまった。

消えたしまったのは去ったということではない。


それは私と同化したということだ。

このことはミスラにもいえる。

彼らはある意味私自身の化身であり、同時に私を導く者だった。

化身は役目を終えれば本体と融合する。


もともと、彼らは存在から生まれ出たのだ。

つまり私から生まれでたということ。

私個人の成熟度がそこまで高まれば、自然と存在に溶けて消えてしまう。

そういうものなのかもしれない。


空風瞑想

空風瞑想は忘れてしまった本当の自分を取り戻す瞑想法です。瞑想の中で今まで気づかなかった心の新しい扉を開き、静寂でありながらも存在に満ち溢れ、完全に目覚めている本当の自分をそこに見つけていきます。そこを自分の拠り所にするとき、新しい人生が始まっていきます。