超人ザオタル(56)存在の理解

その言葉は実際に私の道に寄り添い、その理解に応じて変化し先を示してくれた。

それを飲み込むたびに私の古い概念は破壊され、新たな概念の発芽となった。

そうして私はさらなる真実を受け入れる条件を整えていったのだ。

私のすぐそこでそんな真実の言葉が与えられた。


それが誰の言葉なのかはそれほど重要ではない。

誰にしろ、それは普遍的な存在からの言葉なのだ。

もちろん真実に目覚めた師の言葉に違いない。

だが、その師はいまや個人を超えて普遍的存在へと昇華している。


もはや師は個人的な誰かではなくなっている。

それを誰かの言葉とするなら、個人的エゴは喜んで個人の概念として記憶するだろう。

それは誰かが言った美しい言葉として覚えておくべきものではないのだ。

普遍的にそこにある智慧ともいうべきものだ。


私はこの世界にあって人を超越した存在である。

言葉にすれば、それが私の行き着いた答えだ。

その存在が道の終着地であり、約束された故郷なのだ。

そこに着いた時に気づくことは、私がそこから一歩も動いていなかったということだ。


なにしろ私は宇宙全域を包み込む普遍的な存在なのだ。

どうしてそこから動く必要があるというのだろうか。

時間的にもまったく経過していなかった。

存在は時間の始まりであり、同時にその終わりまでの全時間を飲み込んでいる。


理解したときとはその瞬間の点ではないのだ。

時間の流れとともにあった長い道の旅も、存在にとっては全時間としてあった。

私はザオタルであったが、同時にザオタルではなかった。

ずっとそんな存在としてあったのだ。


普遍的存在が自分はザオタルだと信じ込んで生きてきた。

そしてこの身体や心、世界までがザオタルに付き従ったのだ。

それはザオタルが偉大なるこの世界の支配者だからではない。

私が世界の素材である存在だからこそのことだった。


私は自分が存在だと瞑想を通して理解した。

そしてザオタルであることを捨て去り、人間であることをやめたのだ。

これが最終地で起こる理解だ。

そしてすべての疑問に対する最終的な回答なのだ。


誰も普遍的なこの存在を超えることはできない。

つまり、これ以上の回答はこの世界にないということだ。

それはこの世界の頂点であり、同時に世界を超えた理解の最高地点だということ。

他の理解はすべて存在の現象化したものであり、それが完全な真実になることはない。


空風瞑想

空風瞑想は忘れてしまった本当の自分を取り戻す瞑想法です。瞑想の中で今まで気づかなかった心の新しい扉を開き、静寂でありながらも存在に満ち溢れ、完全に目覚めている本当の自分をそこに見つけていきます。そこを自分の拠り所にするとき、新しい人生が始まっていきます。