神の声 第2章:砂漠の行者(19)
ふと、冷たい風を感じて、私はゆっくりと目を開けた。
目の前に男が座っていて、じっと私を見ている。
男の後ろには夜の砂漠の底知れぬ暗闇が広がっていた。
「瞑想から覚めたようだな」
「どうだ、何か分かったことはあるか」
男はいつも通りにそう私に言うと、白い歯を見せて笑った。
「ええ、私がそこにいるということは分かりました」
「でも、すぐに意識が何処かに飛んでしまいます」
「考えとかイメージとか」
「そして、それがとても楽しく思えます」
「そうすると、自分でいることの意味が分からなくなって」
「何というか、自分は幸福に浸ることを求めいると分かってしまうんです」
「こんな瞑想が意味あることなんでしょうか」
「本当の自分を知ることが、本当に私の求めていることなんでしょうか」
私は困惑した顔で男を見た。
「そうだな、本当の自分に意識を向けていられないのは」
「当たり前のことだ」
「いままで、そんなことしてこなかったし」
「慣れてないからな」
「心の記憶に意識を向けてしまうことは仕方がないことだ」
「だが、そう感じられるということは」
「自分の視点を意識し始めているということでもある」
「だから、それが瞑想の失敗だと思わないことだ」
「つまり、それは意味のある瞑想だ」
「自分の固定概念に振り回されないようにな」
男はそう言うと私の肩を軽く叩いた。
「こんな瞑想でもいいんですね」
「でも、この瞑想が本当に自分のためになるんでしょうか」
「人生の時間を瞑想に費やすことが意味あることなのか」
「だたじっと座っているだけのことです」
「それよりも人生はもっと活動的であるべきで」
「どのような活動をするべきかを考えた方が意味がある気がします」
「人生は楽しむべきものであって」
「そのために自分は生きているんじゃないかと」
私は男の意に反するかもしれないと思いながらも、
思い切ってそう尋ねてみた。
「ふむ、まあ、おまえの言うことも分からんでもない」
「ただな、自分で分かっているかどうか知らんが」
「おまえは循環に陥っているぞ」
「まあ、あの女がいろいろと知恵をつけたんだろうが」
「どれだけ素晴らしい人生を過ごそうとも」
「誰がその人生を過ごしているのか知らなければ」
「それは素晴らしい人生を過ごしているとは言えない」
「そこがおまえの出発点だった」
「つまり、自分とは誰なのかを知ること」
「それを知ってから、自分が本当に人生を生きていると分かる」
「もし、自分を知らなければ」
「いつまでたっても素晴らしい人生は自分のものにならず」
「だから、飢えたように人生に起こることを求め続ける」
「決して満たされないままな」
「これが循環だ」
「輪廻転生とか言うこともある」
「あの女はその循環を世界の中に留めたいのさ」
「そうすることであの女は存在することができるからな」
「あの女の正体はおまえの固定概念だよ」
「今まで通り、世界におまえを留めることで」
「世界を終わることなく循環させたいと思っている」
「それが固定概念の幸せだ」
「おまえを無知のままでいさせたいのさ」
「まあ、無知のままでも生きていくことはできる」
「人生で楽しいことや充実した感じとかも経験できるだろう」
「だけどな、そんなことは過ぎ去っていく」
「過ぎ去っていくから、またオアシスを求めるように」
「おまえは砂漠をさまようのさ」
「無知なままということはそういうことだ」
「もし、この自分の状況に決着をつけたいのなら」
「世界から離れて本当の自分を知るしかない」
「それは瞑想で自分の視点を見つけることで始まる」
「それを本当の自分だと知ることで」
「循環は完全に終わる」
「いつでも思い出すことだ」
「お前に視点があることをな」
「本当の自分はここにいると思い出すこと」
「それが瞑想で培われていくと」
「何が真実かってことも、瞑想で分かっていく」
「何が真実か」
「オレや女の存在が真実なのではない」
「砂漠やオアシスが真実なのではない」
「そこに必ず存在しているおまえが真実なんだ」
男はそう言うと風の中に掻き消すようにいなくなった。
そこに残っているのは私だけだった。
私は言葉もなく、そこで目を閉じた。
男の言った言葉の意味というよりも、その余韻を感じていた。
瞑想に入ると自分がそこにいるのを感じる。
それだけが、確かな真実だった。
他には何もない。
それはとても小さい。
いままで自分に取り憑いていた自分でないものを捨て去っている。
それは素晴らしい人生に比べたらつまらないものかもしれない。
だけど、そのつまらない小さな一粒の中に、
すべての素晴らしい人生が詰まっていると感じた。
私は小さな砂粒になった。
そのとき、私は自分が砂漠だということに気がついた。
小さな砂粒は果てしない砂漠のすべてでもあるのだ。
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