神の声 第2章:砂漠の行者(15)
私はしばらく心の中の何もない所を見つめていたが、
部屋の空気が変わった気がして、ゆっくりと目を開けた。
目の前にあの男が座っていて、私をじっと見ている。
周りを見回すと、そこは星明かりに照らされた砂漠だと分かった。
私は自分が冷えた砂の上に座っているのを感じて、
いま夜の砂漠にいることは確かな現実なんだと認めた。
「瞑想していたようだな」
男はそう言うと白い歯を見せて笑った。
「ここは砂漠なんですね…」
「眠っても瞑想してもここに戻るんですか」
「このあと、私は死ぬ思いをしてオアシスに戻るんですよ」
「ここじゃなければならないんでしょうか」
私はつい愚痴っぽいことを言ってしまった。
「まあ、それはおまえが決めたことだ」
「ここが良いとな」
「それはオレのせいではないよ」
男はそう言って困った顔をした。
「いったい、どこの私がそんなことを言ったのか…」
「宮殿で瞑想しても良いような気がしますがね」
私は砂漠にいることが男のせいではないと分かっていても、
そう言わずにはいられなかった。
「まあ、その話は置いといてだ」
「瞑想して分かったことはあるか」
「その、自分が誰なのかということについてだ」
男は少し呆れたような口調でそう言った。
「ええ、瞑想は…」
「ただ真っ暗なところにいただけです」
「ずっとそこを眺めていました」
「それで何も変わったことは起こりません」
「自分が誰かとか」
「こんなことで分かるんでしょうか」
私は少し非難めいた口調になった。
「よしよし、第一段階は良い感じだ」
「おまえ、なかなか筋が良いな」
男が機嫌よくそう言ったのが意外だった。
「自分が誰かはそこに含まれているよ」
「つまりだ、暗闇を見ていた者が本当の自分だ」
「いいか、おまえは瞑想で何かを探していた」
「目を閉じているから、暗闇しか見えないだろう」
「だけどな、そこには暗闇があると分かっている誰かがいなくてはならん」
「そこはただの暗闇だけではないんだ」
「もうひとつ、自分という存在が確かにいる」
「そうしなければ、おまえの説明は成り立たなくなるだろう」
男はそう言って、どうだと言う顔をした。
私は男が言ったことを頭のなかで反芻した。
確かに、誰かがいなくてはそこは暗闇だったと言うことはできない。
その誰か、それが見つけようとしている自分なのか。
だけども、そこには誰もいなかった。
いや、そういうことではない。
「そうです、私はそこにいました」
「自分自身だから見えないだけで、そこにいたことは確かです」
「それが本当の自分なんでしょうか」
そうは言ったものの、
私はまだ分かったような分からないような感覚だった。
「ああ、そうだ」
「それが本当の自分だよ」
「簡単な話だ」
男はそう言って笑顔になった。
「こんなに簡単でいいでしょうか」
「それに、それが自分だとして、何になるというのですか」
「何というか、これはオアシスのような救いでも癒やしでもなく」
「何も感じることができません」
「とても、それが自分にとって大切なことだとは思えないんですが」
私は段々と騙されたような気持ちになってきた。
「前にも言ったが、これはこの世界の価値観とは随分と違うものだ」
「いままでの価値観に照らしてもピンとこないだろう」
「だから、殆どの人間はここで本当の自分を理解しようとは思わなくなる」
「知りたいことのすべての答えはそこに在るのに、残念な話だがな」
「オアシスにいる奴らはそれを諦めてしまったのさ」
「ここから先はその価値観をひっくり返していかねばならない」
「今までおまえが持っていた四角四面な固定概念を捨てるということだ」
男はそう言うと少し厳しい面持ちになった。
「そうなんですか」
「まだ、あなたの話に納得できたわけではありませんが…」
「それで、この先を行くにはどうしたらいいんでしょうか」
私には瞑想の感覚を思い出しながらそう言った。
「そうだな、そのためにはこれからも瞑想することだ」
「そこで暗闇を見ている自分に絶え間なく意識を重ね合わせる」
「そうすればもっと確かに分かることがあるはずだ」
「ただな、それを自分の固定概念に当てはめようとしないことだ」
「それは失敗のもとになる」
「おまえは黙って起こっていることを受け入れればいい」
男はそう言うと笑顔になった。
「分かりました」
「とにかく瞑想を続けるということですね」
「私の疑問が解けるなら、やってみますよ」
私がそう言う間に、男は風のように姿を消した。
私はそこで目を閉じて瞑想を始めた。
砂漠の夜の冷えた空気が私を包み込む。
段々とその感覚が遠のいていき、そして私はただ空間に漂っている感じがした。
私は心の中の暗闇を見つめ続けた。
そして、それを見つめている者に自分を重ね合わせた。
私は時間が過ぎる感覚を失った。
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