神の声 第2章:砂漠の行者(14)
確かにその通りなのだ。
そんなことは頭では分かっている。
ここにいれば、私は幸せでいられる。
窓から見る雄大な砂漠の景色は感動的だし、
人々は穏やかで愛と慈悲にあふれ、
この宮殿は平和な空気で満たされている。
私が求めている心地よさはすべてこのオアシスにある。
ここで不満を言えば、狂っていると言われても仕方がない。
何を好き好んで、わざわざここを離れて、
過酷な砂漠に出向く必要があるというのだ。
「本当に、本当にそれが自分なんでしょうか」
「確かに幸福や感動的なことや愛とかは大切で」
「それが世界にあることは素晴らしいことです」
「でも、それが本当の自分の姿なのでしょうか」
「私は自分のもっと奥深くに本当の自分がいる気がするんです」
「もしかすると、このオアシスは砂漠の幻かもしれません」
「砂漠で倒れて死にかけている私の夢なのかも…」
「そこであなたのような素敵な人に介抱される」
「そんな美しい夢を見ているのかもしれません」
「たとえそうであっても」
「ここで本当の自分を知ることができれば」
「私は砂漠で死ぬことはないのです」
「本当の自分は死なないし」
「どんなことがあっても消えることがないというか」
「そんな気がします」
「それを知ることで」
「私はこのオアシスさえも自然に受け入れることができようになると」
「そう思うんです」
私は自分の気持を上手く説明ができないと分かっていた。
いまのところこんな説明で手一杯だ。
「…そうね、あなたの言うことも分からないでもないわ」
「このオアシスだって宮殿だって、永遠ではないかもしれないから」
「気がついたら私はここにいて、ここを守っていたの」
「だから、この平和な宮殿だけが私の世界…」
「もちろん、永遠でないものにしがみついて」
「それを永遠にしようとしても無理な話」
「そのくらいは分かるわ」
「あなたはここを超えた処をあなたの中に見つけようとしているのね」
「それは私に分からない」
「私はここの幸せを守るだけで精一杯だから…」
女に私の言うことを受け入れる懐があったのが意外だった。
「それで、その本当の自分を見つけるために何をすればいいのかしら」
「それを見つけなければ、どの道あなたは砂漠に放り出されるんでしょう」
「何か私が手伝えることがあれば…」
女はそう言うと少しうつむいて、気落ちしたように視線を床に落とした。
「ええ、これは私にもよく分からない話なんです」
「間違っているかもしれないし…」
「あなたの言っていることが正しいかもしれません」
「そう、砂漠の男は瞑想をしろと言ってました」
「ですから瞑想をしてみようと思います」
「それで何か分かるかもしれないので」
私はそう言って、女を気遣うような目で見た。
「分かったわ」
「あなたはここで瞑想すると良いわ」
「誰にも邪魔されないように、私がこの部屋を守ってあげる」
女は顔を上げて少し笑顔になった。
そして、静かに立ち上がると部屋を出ていった。
私は女の後ろ姿を見送って、少しさびしい思いがした。
もしかして、あの人を傷つけてしまったのだろうかと心配になった。
これだけ私に尽くしてくれる人に嫌な思いをさせるのは忍びない。
だが、そんな思いを振り払って、私は気持ちを引き戻した。
私はソファーの上で足を組んで座ると、目を閉じて瞑想を始めた。
宮殿内はシンと静まり返っている。
私はその静けさの中で浮き彫りにされる微かな香の匂いを感じ、
遠くで奏でられている穏やかな弦楽の音を聞いていた。
いつしか、そんな繊細な感覚さえも遠のいていき、
私の心の中は空っぽになっていった。
ここには何も無い。
まるで街の喧騒から離れて夜の砂漠のような別世界にいる気がした。
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