神の声 第2章:砂漠の行者(13)
空が白んできた。
砂漠の果てしない風景が、空の光に照らされて闇の中から現れる。
目の前で太陽が地平線からゆっくりと確かな足取りで昇ってくる。
私は立ち上がって服の砂を払うと、昇り始めた太陽に向かって歩き出した。
太陽は見る間に天井に昇り、激しい熱を放ち始めた。
私は絶望の縁を歩くような過酷な状況に晒された。
私の身体は太陽の日差しと砂漠の熱風に容赦なく切り刻まれていく。
遠くにゆらゆらとオアシスの影が見えるが、一向に近づく気配がない。
あれは蜃気楼なのか。
私は足元の砂を見つめながら、
ひたすら次の一歩を踏み出すことだけを考えて歩き続けた。
今度こそ本当にもう駄目だと思ったときに、
顔を上げると目の前にオアシスがあった。
私は薄れ行く意識をしっかりと握り直し、頼りない足取りで池を目指した。
そして、池の縁に崩れ落ちるようにひざまずくと、夢中で水を口に含んだ。
苦しかった喉の渇きが癒え、次第に身体の奥から生命が蘇ってくる。
私は木の根元に腰を下ろすと目を閉じた。
そして、身体がゆっくりと回復していく感覚を楽しんだ。
今日も砂漠で生き抜いた。
生きるということをリアルに実感する。
生きていることは素晴らしい。
身体の落ち着いてくる感覚に顔が自然とほころぶ。
しばらくして、私は目を開けた。
身体はかなり回復している。
私は力を込めて立ち上がると、宮殿にある自分の部屋に向かった。
あの部屋には身体を快適に休ませることができるベッドがある。
私はそこに身体を横たえたいと思ったのだ。
部屋に向かう途中の庭では人々がくつろいでいて、
私に気がつくと皆が笑顔を向ける。
ここは平和でとても心地が良いところだ。
だが、なぜこの人たちは砂漠に連れ去られず、
ずっとここにいられるのだろうかと思った。
私だけが毎晩、砂漠に連れ去られ、
そして昼になると過酷な経験をしてここに帰ってくる。
自分だけがそれを繰り返していることに違和感がある。
でも、きっとまだ私がここに受け入れられていないのだと感じた。
人々はそんな私を見て、いつになったらここに留まる決心が着くのか、
そんなことを推し量りながら私に微笑んでいるのかもしれない。
部屋に入るとあの女がソファーに腰掛けていた。
そして、私に気づくと優しく微笑んだ。
「おかえりなさい」
「また、砂漠に飛んでいってしまったわね」
「そろそろ何とかしないと」
「じきにここへ戻って来れなくなるわよ」
女はそう言って、隣に座るように目配せをした。
私はソファーに座った。
「ええ、もう自分ではどうしようもなくて」
「眠ると砂漠に行ってしまいます」
「いつかオアシスに戻る途中で倒れてしまうかもしれません」
「いつもギリギリの状態なので」
「考えると恐ろしいことです」
私はそう言うとひとつため息をついた。
私は砂漠では生きていけないのだ。
オアシスがなければ、一日も保たずに倒れてしまうだろう。
だが、砂漠でなければ分からないこともある。
私は何かを知るために砂漠に行くのだ。
そう思ってはいるが、
この快適なオアシスで身体を優しく包んでくれるソファーに座って、
その快適さを満喫していると、
自分のその考えが正しいことなのか分からなくなってくる。
「そうよ、あなたの大切な生命が失われたた大変よ」
「あなたは二度とこのオアシスの快適さを味わうことができなくなる」
「そんなことになったら、私は悲しいわ」
「毎日、砂漠の熱で焼かれる人生なんて…」
「あなたには幸福な人生を送ってほしいの」
女はそう言って悲しい目をした。
「ここで幸せな人生を送るためにも」
「私の心の引っ掛かりを取らなければ」
「本当にいつまでも生命を削りながら」
「こんなことを繰り返してはいられない」
「本当にそう思います」
私はもう少し真剣にならなければと思った。
「それで…」
「あなたの心に引っかかっているものは何なのかしら」
「それが何であれ、無意味だということを」
「あなたがしっかりと納得しないといけないわ」
「その何かについて、話してくれないかしら」
女はそう言うと少し緊張した面持ちになった。
「ええ、それは…」
「私が誰なのかということです」
「私は幸せになることができますが」
「誰が幸せなのか分かりません」
「幸せの中にあって」
「そこだけが暗い影のようになっているのです」
「それを何となく知ってから」
「私は砂漠に連れて行かれるようになりました」
「それを知らなければ」
「この繰り返しは終わらないのだと思います」
私がそう説明すると、女は困った顔をした。
「まだ、そこに引っかかるのね」
「昨日の話で納得したと思っていたのに…」
「いいかしら、幸せになること自体があなたなのよ」
「あなたは世界からの恩恵に満たされた気持ちになり」
「何かに感動したり、気持ちが高まったり」
「愛する気持ちや慈しむ心で魂を輝かせるの」
「それが最高のあなた自身であって」
「それ以外の自分自身なんていないのよ」
「そんなあなたになることが」
「世界を素晴らしい場所にすることになるし」
「私やここに住んでいる人々をもっと平和な気持ちにさせるわ」
「これ以上の自分自身なんているわけがないじゃない」
「それをあなたはここで実現できるの」
「そう信じれば、もう砂漠になんて行く必要はないのよ」
女はそう言うと、私の顔色をうかがった。
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