神の声 第2章:砂漠の行者(9)

「おい、起きろ」

 私は男の声で目が覚めた。

 そして、冷たい砂の上に寝ていることに気がついた。

 あたりは暗く、すでに夜になっているようだ。

 私は身体を起こすと、目の前にいるあの男を見た。


「ここは…」

 私はぼんやりした声で言った。


「ここは砂漠だよ」

「おまえ、オレが見えるのか」

 男は私の顔を覗き込んだ。


「ええ、見えますよ…」

 私は目をこすりながらそう答えた。


「ほお、なかなか頑張るじゃないか」

「たいていは、もうオレのことが見えなくなるんだがな」

「それで、あの女の言葉を信じて」

「そのうち誰もここに現れなくなる」

「おまえがここに現れるということは」

「まだ、あの女の言うことを完全に信じてないということだ」

「まあ、オレのことも信じてないかもしれんがな」

 男はそう言って笑った。


「また、ここは、砂漠…ですか」

「何なんですか、これは」

「あなたは私に何をしたいんですか」

 私はこの状況にうんざりして、疲れたような声で男に聞いた。


「何をしたいって…」

「これはおまえが望んでいることであって」

「オレはただ手伝っているだけだ」

「言うなれば、オレはおまえに呼ばれてここに来ている」

 男は困った顔でそう言った。


「えっ、私があなたを呼んでいるんですか…」

「私にはそんなことをした覚えが全くないんですが」

 私も困った顔をして、男の顔から視線を外して遠くを見た。

 地平線から天井へと美しく輝く星たちが白い煙のように広がっている。


「そうだな、おまえにはオレを呼んだ覚えはないかもしれない」

「おまえがあることに気づき始めると」

「オレがその案内役として現れることになっている」

「そうオレに頼んだのはおまえだよ」

「…忘れているかもしれないが」

 男はそう言うと苦笑いをした。


「そうなんですか…」

「良く分かりませんが…」

「そう言えば、あの女の人があなたのことを砂漠の物の怪と言ってましたよ」

「人を騙して生命を吸い取るとか」

 私はそう言って男の反応を窺った。


「ははぁ、砂漠の物の怪ねえ、あの女が言いそうなことだ」

「まあ確かに、オレは人間ではないからな」

「いろいろと言いようもあるだろう」

「おまえは、オレがその物の怪とやらに見えるのか」

 男はそう言うと自分の胸に手を当てた。


 私はこの男が砂漠の物の怪とは思えなかった。

 もし、そんな恐ろしい怪物であれば、

 こんなまどろっこしいことなどせずに、問答無用で生命を吸い取るはずだ。


「いいえ、そうは思ってませんが」

「それでも誰なのか見当もつきません」

 私はそう言うと息をひとつ吐いた。


「まあ、オレが誰なのかはどうでもいい」

「それよりも、オレの言うことに耳を傾けることだ」

「信じなくてもいいさ」

「聞いてくれるだけでいい」

「おまえが混乱することも、だいたい想定内のことだ」

「女が現れて、おまえを連れ戻そうとすることもな」

「昔、おまえがオレに頼んだときも」

「きっとこんな感じになるからと念を押された」

「だから、オレはおまえの態度に驚きもしないし」

「何も無理強いしようとも思わない」

「オレのことを砂漠の化物だと信じて」

「あの女の宮殿に戻っても構わない」

「オレはここで昔のおまえとの約束を果たすだけだ」

 男は自分なりの決意があるように見えた。


 それにしても、昔の私との約束…。

 また意味がわからないことが増えた。

 だが、この状況で私が選択することは限られている。

 それに私が何を選択しようと、それほど事態が大きく変わるとも思えない。

 きっと、どうあってもこの広大な砂漠という迷宫でウロウロするだけだ。

 ここでこの男に消えてもらっても、それはそこまでのこと。

 すぐに砂漠の荒涼とした記憶の中に埋もれていくだろう。

 急にここでのことが無意味に感じてきた。

 もう、このおせっかいで面倒な男を無視するか。


空風瞑想

空風瞑想は真我実現の瞑想法です。瞑想の中で今まで気づかなかった心の新しい扉を開き、静寂でありながらも存在に満ち溢れ、完全に目覚めている本当の自分をそこに見つけていきます。「私は誰か」の答えを見つけて、そこを自分の拠り所にするとき、新しい人自分としての生が始まっていくでしょう。