神の声 第2章:砂漠の行者(6)
「おい、起きろ」
男の低い声が聞こえた。
「えっ…」
私は思わずそう言って目を開け、
上半身を起こして座った。
あたりは漆黒の暗闇に包まれている。
眠っている間にどうも夜になってしまったようだ。
そして、目の前には前の晩に現れた男が座っていた。
周りを見回すと、あの木陰も池もない。
私は何ひとつない砂の丘に座っていた。
「おまえ、しっかりしないと循環に引き戻されるぞ」
「おまえが揺れ動いていると、オレも安定しない…」
「オレに会うことは簡単なことじゃないんだぞ」
「だけど、まあオレのことが見えるということは」
「おまえが求めているものをオレは知っているということだ」
「だから、こうしていられる」
「きっと、オレはおまえが来るのをずっと待っていた」
「そういうことだ」
男はそう言って私を見た。
星空のような男の目は暗闇の中でもはっきりと見える。
「あの、何のことを言っているのか分かりません」
「私がいたあのオアシスはどこなんでしょうか」
「それとも、あなたがそこから私をさらったんですか」
「それなら、またそこに戻してくれませんか」
私は泣きそうな顔で懇願するように男に言った。
「やれやれ、しっかりしてくれ」
「そんなんじゃ、本当にそこから戻れなくなるぞ」
「おまえがしっかりしないと」
「オレはまたおまえの前から消えることになる」
「おまえがこの砂漠で何をしたかったのか思い出してくれ」
男は半ばあきれたようにそう言った。
「いや、辛いだけの砂漠とかはもう良いんです」
「私は生命が満たされる幸福の地を見つけたんです」
「それが私が見つけたかったことです」
「いままで、私は幸福を虚しいものだと思ってきました」
「でも、普通の幸福こそ素晴らしいものだと気がついたんです」
「砂漠はこのことを気付かせてくれました」
「私はこの旅を終わりにします」
私はそう男に言って、この状態を何とかしようとした。
「ああ、おまえがそんなことでは」
「オレはここで消えることになるな」
「あの女もそれを望んでいるだろう」
「おまえはあの女にいいように操られてしまったようだ」
「まあ、おまえもそこまでの人間だったということだ」
「ちょっと期待したオレが馬鹿だった」
「残念だがな」
「また、しばらくオレの出番はないな」
男はそう言って空を仰いだ。
「…ちょっと待って下さい」
「私が女に操られたって、どういうことなんですか」
「いろいろ意味が分かりません」
私は男の言葉に引っかかるものを感じた。
「まあ、あまりそれには触れないルールだ」
「おまえが自分で判断しなきゃならない」
「だが、あの女はルールすれすれで攻めてくるからな」
「おまえ、木陰や池を見つけて、そこで満腹になって」
「女の色香にやられて、幸福な気持ちになって」
「これが生命そのものだ、とか思っただろう」
「それはあの女の策略だよ」
男はそう言って哀れみの表情を見せた。
「それって、いけないことなんですか」
「その、満たされて幸福感に浸ることが」
私は本当のことを言い当てられて、
少し苛立ちながら男に聞いた。
「いけなくはないさ」
「それが人間ってものだからな」
「だがな、それだけだと宝物を取られたままなのさ」
「女はその宝物のことは何も言わないだろう」
「それを隠しておくことで」
「あの女は存在できるからな」
「あの女はお宝に気付かれないようにするために」
「おまえに満たされた気持ちや幸福感を与えている」
「そういうことだ」
男は平静な言葉でそう言ったが、
かなり引っかかるところがある。
「宝物って何なんですか」
「あの幸福感よりも良いものなんてこの世にあるんですか」
私は男の言い方にじれったさを感じた。
「宝物というのは」
「おまえを引きつけようとするために使った言葉だ」
「まあ、これもルールすれすれってやつだな」
「それはな、おまえが砂漠に出る前に知りたかったことだよ」
「それが、まあお宝だ」
「そのお宝を誰かが見つけようとすると、オレとつながる」
「そこでオレの仕事が始まるのさ」
「オレはおまえをお宝へと案内できる」
「だが、話はそう簡単じゃない」
「必ずあの女が現れて、それを邪魔するからな」
「それが邪魔していることだと感づかれないように巧妙に…」
男の言うことにも何となく真実味を感じる。
やはり私は何か間違っていたのか。
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