超人ザオタル(50)発祥の地
その晩になって、アルマティとタロマティが部屋にやってきた。
もしかするとふたりはもう瞑想に来ないかもしれないと思っていた。
もちろんその決断さえも道ではあるが、私は少し安堵した。
私たちは何の言葉を交わすでもなく、座ると目を閉じて瞑想を始めた。
私は存在だった。
瞑想していようとしていましと、私が何処にいようと。
それは変わらない事実になっていた。
ただ明瞭に存在でいる自分を感じていた。
いつも同じそれでいる。
それは様々な道を歩いて、その瞬間瞬間に変わっていく世界とはまったく違っていた。
世界の景色はその瞬間がすぎれば、もう二度と同じ景色を取り戻すことは出来ない。
時の流れは抗いようもなく、先へ先へと流れていく。
だが、存在はそんな世界の流れに反して、いつも同じなのだ。
いつも同じということは、この世界にあって奇跡的なことだ。
そんなことは世界のどんなところにもない。
何の変哲もないこの静かな感覚が、ものすごいことのように思えてきた。
これを退屈や無価値だととらえるのか、それとも驚くべきことととらえるのか。
そこには大きな違いがあるのだ。
それはそこを去るか、それともさらに先に進むのかの分岐点にもなる。
ほとんどの場合、そこを去るだろう。
だから、その先の真実を知っている人がいないのだ。
私はその存在でありながら、存在自身とは何かを感じていた。
それは変化することがない。
いつも同じ場所に存在している。
それは消え去ることがない。
それどころか、どうやっても消すことが出来ない。
それはひとつしかない。
それだけが存在しているすべてだ。
それには性質がない。
性質がないことが唯一の性質なのだ。
それには姿形がない。
それでも明確に存在している。
そしそれが私なのだ。
それは私としかいいようがない。
この事実をどう受け入れたらいいのだろうか。
あまりにもいままでの世界の概念とかけ離れている。
私は存在としてそこにいた。
ザオタルではない私として。
それ以外のものは何もなかった。
そこで私は世界のすべてとつながっていた。
そこには何の境界もなかった。
個人を成り立たせるための身体のような壁もない。
すべてがひとつとしてあり、そのひとつはすべてとつながっていた。
不動の存在がかすかに揺れて光を発し、それが様々なものの原型になった。
存在が動いたときに、それはひとつから分離したのだ。
それが様々な性質を持つ世界の姿へと変わっていった。
すべてはこの存在から始まり、そしてその存在に戻ることが道なのだ。
忘れてしまった自分の発祥地を思い出すために。
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