神の声 第1章:天使と悪魔(15)
「神の話ですか、やっぱり」
「向こうでも問題なっているのね」
白い悪魔がそう言って眉間にシワを寄せた。
一陣の風が草原を波のような音とともに吹き抜けていった。
「それでどうなったの」
「神をどうすることにしたとか」
「そういう話になったのかな」
黒い天使がせっついてくる。
僕が記憶をたぐろうとすると、
それは闇の中に消えていこうとする。
それでも、僕は何とかしてその一端をつかもうとした。
「ええ、神について話をしていたところまでは覚えていますが…」
「そ、そうだ、神が現れましたよ」
僕はそう言って顔を上げた。
「神が現れたの…」
黒い天使はそう言って絶句した。
「そこまで悪化していたのね」
白い悪魔がそうつぶやいて目を伏せた。
「でも、神は姿を持たないから…」
「で、神はどうやて現れたの」
黒い天使が僕の目を覗き込んだ。
「ええ、現れたというか」
「僕の身体に乗り移るような感じで…」
「僕が神の言葉を喋ってました」
僕はあの不思議な体験をおぼろげながら思い出した。
「あなたの身体を借りたのね」
「それは相当のことだわ」
白い悪魔がそう言いながら空を仰いだ。
「でも、何を喋ったかは…」
「もう思い出せなくなっています」
僕は申し訳ない気持ちになった。
「それは仕方がないわ」
「でも、あなたの話で大体の状況が分かったわ」
「あいつらは相当のヘマをしたってこと」
白い悪魔の批判があの天使と悪魔に向けられたので、
僕は少しホッとした。
「それで、君がここに戻る直前」
「そこで何か起こったの」
黒い天使が僕の消えかかった記憶を揺り動かす。
「そうですね」
「確か、真っ暗になりました」
「光っている天使がその光を消していったんです」
「それで洞窟が真っ暗になって」
「僕たちはその闇に溶けていって」
「そしたら、僕はここにいたというわけで…」
僕が思い出せることはこれが限界だった。
僕の記憶はどんどん曖昧になっていく。
いま喋ったことの記憶すら薄らいでいく。
「まあ、あいつらなりに覚悟を決めて頑張ったのね」
「なんとかリセットは免れるかも」
白い悪魔がそう言って黒い天使を見た。
それにしても、ここは心が安らぐ場所だ。
柔らかい光にあふれていて、空間がとても優しく感じる。
僕のことを幸せの中に包み込んで、
あふれるばかりの心地よさを注いでくれる。
僕は空を見上げてゆっくりと深呼吸をした。
これで僕の仕事は終わったのか。
瞑想をして向こうの世界のことを探る任務だったのだろう。
もう、記憶を手繰る気力もなくなり、
力が抜けていって、目を閉じてこのまま眠りたくなる。
もう、余計なことを考えずに、ここで…。
「ところで、君にはもう一度、あの洞窟に戻ってもらうから」
黒い天使が僕の心を見透かしたように言った。
「えっ、また戻るんですか、あそこに」
僕は身体から力が抜けるのを感じた。
勘弁して欲しい。
「なんで戻らなければならないんでしょう」
「何か理由があるんですか?」
理由があっても戻りたくはなかったが。
「そう、洞窟に戻るの」
「ここは現実の世界じゃないから」
「君はここにいてはいけないの」
「ここにいたら、君は心地よさの中に眠ってしまう」
「そしたら、中心が失われてしまう」
「そして現実の世界は混沌の中に飲み込まれて」
「最後にはリセットされてしまうのよ」
黒い天使が真剣な目で僕を見つめている。
「ちょと待ってください」
「リセットされるとか、それって僕に関係があるんですか」
「そういえば、向こうの黒い悪魔が」
「リセットしてもいいんじゃないかとか」
「そんなこと言ってましたよ」
「無理して面倒なことをしなくてもいいんじゃないですか」
僕は黒い天使に何とか思い直して欲しいと思った。
「そうね、確かに面倒なことかも」
「でも、君が戻らなければ」
「あの二人の覚悟は無駄になる」
「それでもいいなら、ここで永遠に眠っていればいい」
黒い天使はそう言って草原の遠くを見た。
あの二人、あの二人を消したのは僕だ。
そういえば、そうだ。
僕が光を消してと言ったばっかりに、
二人は闇の中に消えてしまった。
最後に聞いた悪魔の声が心の中に蘇る。
僕はうつむいたまま黙った。
二人も黙った。
なんとなく気まずくなった雰囲気を無視するように、
草原を渡る風の音が僕の心を癒やすように撫でていく。
0コメント