青の記憶(19)苦行
「青~、入るぞ」
アンスロポスは部屋に入って椅子に座った。
「どうぞー」
青はアンスロポスを迎えた。
「青、本当の自分を知るために苦行は必要なのか」
「何かそういうことをした方が良い気がするが」
「それで、気分的にも盛り上がるだろう」
アンスロポスはどうだと言って青を見た。
星は静かだったが、
どこかやる気に満ちた雰囲気を放っている。
「そうですね」
「苦行はアンスロポスさんがしたければ」
「すれば良いのではないですか」
「ただ、それで確実に」
「本当の自分を知ることができるかは分かりません」
青はアンスロポスに真顔で視線を向けた。
星が少しざわついているようだ。
「うむ、それは何でだ」
アンスロポスはそんなものなのかという顔をした。
「はい、苦行が間違ったこととはいいませんが」
「多くの場合、苦行自体が目的になってしまいます」
「つまり、苦行をやり遂げることで満足してしまう」
「それはそれで素晴らしいことですが」
「ホントは自分を知るために苦行を始めたのに」
「やっているうちにそこから離れてしまいます」
「それが懸念されることです」
青は残念そうに言った。
「そうなのか」
「確かに、苦行自体が目的なってしまうかもしれんな」
「困難な苦行ほどやり遂げた時の達成感は高いだろうし」
「それでも、苦行から何かは得られるんじゃ」
「それが本当の自分に近づくことはないのか」
アンスロポスは納得できない。
「そういうこともあるかもしれませんが」
「本当の自分を知るためには」
「最後に苦行を捨てなければならないんです」
「そうでなければ」
「苦行をしたという満足が個人を強化してしまいます」
「個人を強化するということは」
「本当の自分から遠ざかるということです」
「ですから、困難な苦行をして」
「その苦行をやり遂げたという経験を捨てられるなら」
「本当の自分に近づくでしょう」
青は少し言いにくそうに言った。
「そうか…」
「個人が強くなってしまうのか」
「苦行は己を滅するためにするもんだと思ってたがな」
「結果的にそうならないということか」
アンスロポスは腕を組んで目を閉じた。
「本当の自分を知るためには」
「個人を捨てなければなりませんが」
「苦行によって個人に変化をもたらすことはできます」
「実際に苦行によって」
「個人を個人たらしめている様々な欲は抑えられるでしょう」
「ただ、それは欲を抑えたということで」
「欲がなくなったわけではありません」
「苦行を止めた途端に」
「そこに個人がいる限り欲はまた復活します」
「それに加えて、苦行をしたという達成感によって」
「個人が強化されたりすれば」
「苦行をする前よりも状況は悪化します」
「苦行者は」
「なぜこんなことになるのか理解できないでしょう」
青もアンスロポスのように腕を組んだ。
「瞑想は苦行にならないのか」
「瞑想だって、行の一種だろう」
アンスロポスは腕を組んだまま目を開けて青を見た。
「確かに、瞑想も苦行になるかもしれません」
「長年瞑想をしていると」
「瞑想をしてきたということが」
「経験として積み重なり」
「個人を強化する場合があります」
「そうなると、本当の自分から遠ざかりますね」
「だから、瞑想も注意しなければなりません」
「瞑想自体が目的ではなく」
「瞑想という手段で」
「本当の自分を見つけるという意識を」
「忘れないようにしなければ」
「瞑想は本当の自分を知るために必要不可欠ですが」
「瞑想も瞑想の経験も最後には捨ててしまいます」
「それには本当の自分にとっては何の価値もありません」
青は澄んだ目でアンスロポスを見た。
「あくまでも」
「本当の自分を知ることができるかどうかなのか」
「苦行という手段が目的にならないように…」
「なんとなく分かった気がする」
「…また来る」
アンスロポスはやる気が削がれたように、
少し肩を落として立ち上がると部屋を出ていった。
星がザワザワとにわかに騒がしくなり、
そして静かになった。
青はそれを聞いてひとり微笑んだ。
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