超人ザオタル(42)安易な理解

アムシャはしばらく黙っていたが、おもむろに口を開いた。

「基本的に自分はひとりしかいないのだ、ザオタル。

おまえが言っていることでは、自分が二人になる。

それでは基本的なことが破られてしまって、道から外れてしまう。


もし自分がふたりでもいいということであれば、何人でもいいことになる。

まるで心の中のざわつきひとつひとつが自分であるかのように。

いまは違っても、いずれはそう認めなければならなくなるのだ。

そうなったら、おまえはどう収拾つける気なのだ。


それはこの世界の喧騒のようになるだけではないのか。

そうして人間は拠り所を失って、道をつくらなければならなくなったのだ。

自分はひとりだと認めて、それを理解しなければならない。

それが出来なければ、ここまで来た意味が失われてしまうぞ」


アムシャの最後の言葉には悲しげな響きがあった。

私はアムシャを失望させたかもしれないと落ち着かなくなった。

あまりにも自分に都合のいい形に自分を理解しようとした。

それが安易な答えであることは私も知っていたのだ。


アムシャがそんな私の気持ちを察してか、続けて言った。

「自分とは誰なのか、そこを突き詰めなければならない。

一分の隙きもないくらいに、何の妥協もないほどに。

それは厳しく聞こえるかもしれないが、ちょっとした油断が命取りになるのだ。


たったひとつの岩が緩んだだけでも巨大な城は崩れ落ちる。

常に点検を怠らないことだ。

妥協的な甘い思考を許してはならない。

厳しい鋭さを失わずに確かな答えを見つけ出すのだ」


気づくと私は心の深い淵にひとり佇んでいた。

そこには私だけがいた。

その私は誰ということもない。

ただの認識であり、存在であり、知性なのだ。


それだけがここの真実だった。

この真実をどうやってあの世界に合わせればいいのか。

その答えを見つけなければならない。

私は瞑想から浮上して、世界に戻っていった。


空風瞑想

空風瞑想は真我実現の瞑想法です。瞑想を実践する中で、いままで気づかなかった心の新しい扉を開き、静寂でありながらも存在に満ち溢れ、完全に目覚めている本当の自分をそこに見つけていきます。そうして「私は誰か」の答えを見つけ、そこを自分の拠り所にするとき、新しい視点で人生を見つめることができるようになります。