青の記憶(10)名前
「青、オレだー」
アンスロポスはそう言って、部屋に入ってきた。
「ああ、どうも…」
青は少しボーっとしている。
星はシンと静まり返っている。
アンスロポスは椅子にドンと座った。
「青、自分が個人かどうかの話だ」
「あれはな、まだ良く分からん」
「だけどな、名前があるかどうか」
「それは無いということは分かった」
アンスロポスは落ち着いた口調でそう話をした。
「名前がないというところは分かったんですね」
「それだけでも、大きな進歩ですよ」
青はそう言うと、両手を上に伸ばして大きなアクビをした。
「なんだ、眠いのか…」
「それでだ、名前がないと個人じゃないと言えるのか」
「そこが分からん」
アンスロポスは大丈夫かという目で青を見た。
「ええ、ちょっと寝起きなもので。失礼…」
「えっと、あの話ですね」
「それは、名前がない個人というところがポイントですね」
「そこが個人になるか、個人じゃないかの境目みたいなものです」
「名前がついた途端に、それにはいろいろなものがくっつき始めます」
「名前がないそれは、本来何もくっつきません」
「それはそれだけで完結しているからです」
「つまり、今でも名前のないそれには何も付いていない」
「アンスロポスさんは、名前のないそれにくっついたものが」
「個人のように見えてしまうんじゃありませんか」
「だとしたら、名前のないそれは」
「名前がついた個人にされているということになりますね」
青は、どうでしょうと言って、アンスロポスを見た。
「えー、何だか頭がこんがらがるな」
「つまり、名前のないそれは」
「名前がないという時点で個人じゃないってことか」
「そう分かったとしても、なんか釈然としないんだが」
アンスロポスはまだ納得できないという表情だ。
「ふむ、それは多分…」
「名前がないそれでさえも」
「自分にくっついた何かのように感じているからでしょう」
「アンスロポスさんは、それにくっついたものを個人としてみる」
「その向こうにある名前のないそれも、くっついたもののひとつに見える」
「だから、それを個人ということにしたくなるんですよ」
青はアンスロポスに噛んで含めるように話した。
「だから、それは個人じゃないということか」
「自分を客観的に見ようとするからこんがらがるんだな」
アンスロポスは合点がいったようだ。
「その通りです」
「よくお分かりになりました」
青は笑顔でそう言った。
「でも、それを話で分かってもしょうがないんだろう」
「オレはそう分かっても、分かってないぞ」
アンスロポスは腕を組んでそう言った。
「それも、その通り」
「本当の自分というものは言葉の説明ではないですから」
青は、なかなか良く分かってらっしゃると言った。
「それを実際に分かるためにはどうすればいいんだ」
アンスロポスは困惑した顔で青に聞いた。
「それはもう、瞑想するしかありません」
「言葉ではないんですから」
「言葉でないものを理解することができるのは瞑想だけです」
「瞑想でよくよく吟味してください」
青は当然のようにアンスロポスに話した。
「やっぱりそうだよな…」
「どれどれ、帰って瞑想するか」
アンスロポスはそう言うと立ち上がって部屋を出ていった。
星はだんだんと騒がしくなっていった。
そしてまた静かになった。
青はそれを聞いて、静かに笑みを浮かべた。
0コメント