超人ザオタル(39)捨てる道

夜も更けていた。

ふたりは就寝の挨拶をすると部屋を出ていった。

彼女たちにとっては善き瞑想の道への一歩であったろう。

だが、この道もまた、なかなかどうして一筋縄ではいかない。


そう知るのは後でも構わない。

祝福された一歩はそれはそれでいいものだ。

私はその同じ道であえいでいた。

この道は得るのではなく捨てる道なのだ。


この現世は何かを得る道だった。

たとえ物事を捨てていても、それは何かを得るためだ。

だが、この瞑想の道はただ捨てるだけ。

それも最も大切にしているものを捨てる。


自分を捨てる、だと。

自分を知るためにこうして道を歩んできたのではないのか。

そこで知識を得て、体験をして精神を成熟させてきた。

それが自分になっていったのだ。


それが本当の自分ではないのか。

いや、それは私個人の思考の産物だ。

凝り固まった固定概念なのだ。

あの場所では、そんな概念は通用しない。


こちらの概念に合わせてくれることもない。

ある意味、冷たく突き放される感じがする。

ザオタルを捨てる。

そうしなければ通り抜けることの出来ない扉がある。


ザオタルを捨てることが何だというのだろうか。

真実がそう言うのであれば、そうするしかないではないか。

それを完全に受け入れて、捨てるしかない。

それでどうなるかは分からない。


私は自分を失って混乱するかもしれない。

水の中で空気を求めてもがくように。

いや、そんなことを想像しているから、ザオタルを手放せないのだ。

ザオタルと心の道ではどちらが信頼できるのか。


それは心の道だ。

そこには真実がある。

ザオタルに何の真実がある。

ザオタルなど妄想と執着の産物でしかない。


そこに真実はないのだ。

真実がないから、それを探し求めて歩いてきた。

この道には真実がある。

何者でもない私がここにいるという真実だ。


その真実は消すことが出来ないのだ。

ザオタルにしがみついている手を緩めなければならない。

だが、私の生存本能がそれに抵抗している。

ザオタルという個人を殺したくはないのだ。


私は瞑想のあともそうして悶々としていた。

そうしているうちに、いつしか眠ってしまった。

目が覚めた時、美しい朝日が窓から差し込んでいた。

その光を見つめながら、私は覚悟を決めた。


空風瞑想

空風瞑想は真我実現の瞑想法です。瞑想を実践する中で、いままで気づかなかった心の新しい扉を開き、静寂でありながらも存在に満ち溢れ、完全に目覚めている本当の自分をそこに見つけていきます。そうして「私は誰か」の答えを見つけ、そこを自分の拠り所にするとき、新しい視点で人生を見つめることができるようになります。