ウロボロスの回廊 第7章(2)
小さな機械音だけがいつまでも小部屋に流れて、それ以外のことは何も起こらない。
ハルさんの自我はこれで消失してしまったのか。そう認めなければならないのか。カプセルを見ても、何の変化もなかった。ただ、冷たい金属の光を放っているだけだ。
どうすればいい。
僕は小部屋の片隅に腰を下ろした。こんな状況になるなんて、考えてもいなかった。インストールが停止してしまうなんて。
何だかんだ、ハルさんなら、きっと上手くやり遂げると信じていた。そして、カプセルから起き上がる人間のハルさんを僕は見るんだと、生体の人間同士で笑って、手を触れ合えると思っていた。
そんな希望はただの幻になった。あっけないものだ。これから、僕は自分がどうするか選択しなければならない。
このまま、ハルさんの思い出を抱えて、この小部屋で亡霊のように生きていくか。まあ、それもいいかもしれない。僕は自嘲気味に笑った。
いったい、自分の人生に何の意味があるというんだ。人間の絶滅、そんなことは知ったことではない。生きている意味が分からなければ、再誕生に何の意味がある。
それとも…、自分のインストールを始めていくか。
亡霊のように生きていくことはできる。でも、ハルさんはそれを望むだろうか。ハルさんは自分の身の危険を冒してまで、マシンの最深部へ僕を目覚めさせにきた。きっと僕が人間として起動することを望んでいるだろう。
それなら、ハルさんが望むなら、その選択をするか。そうすることが、今の僕にできることだ。
僕は壁に10と書かれているパネルの前に立った。僕はこの中にいるんだ。両手を壁について、そのまま目を閉じた。
そして、あの公園でやった日なたぼっこのように、心の中に感覚を移していった。どうすればこの仮想世界を破れるか、僕に思いつくことはこんなことぐらいだ。
小部屋の中の小さな機械音、それはハルさんの心臓の音のような気がした。だんだんとその音が遠ざかり、僕はそこに立っているという感覚もなくなっていった。
いつの間にか、僕はあの小部屋から離れて、暗く静かな空間を浮遊していた。物音一つしない深い静寂が僕を包んでいる。僕はそこで微かな流れに乗っていた。
その流れに任せていると、遠くに白い光が見えた。まるで宇宙空間から見た太陽のように、それは静寂の中で力強く輝いている。
僕はそこに向かって運ばれているようだった。きっと、あの光が人間の生体への入り口だ。そこに入れば、僕は生体にインストールされる。そう感じた。
僕はインストールに成功しそうですよ。心の中でそうハルさんに話しかけた。一瞬、あのホッとする笑顔を思い出した。
僕はどんどん光に近づいていった。強い光によって暗闇は破られ、その光りに塗り替えられていく。
その眩しさに、僕はふと後ろを振り返った。そのとき、そこにもうひとつの入り口があるのを見つけた。それは光の輪のようだ。
それを気にして見つめていると、「そっちに行ってはいかん」あの雷のような大きな声が空間に響いた。
それは分かっている。だけどそれは、今じゃない。僕は自分の向きを光る輪に向けた。僕は何やっているんだ。自分でも何だかわからない。
思いの外簡単に、僕はそちらに流れていった。これはあの深いところに沈んだときの感覚に似ている。
私は光る輪に近づき、そしてその輪の中に吸い込まれていった。その中に入った途端、
僕は襟首をつかまれて、引っ張り上げられた。いままでの穏やかな流れとは違っている。深海から海面へと急浮上させられたようだ。
そして、気がつくと大地に降り立っていた。
(続く…)第7章(3)
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