かみむすび(89)私は誰か
もし私が身体であるなら、健康であることが善い私。
もし私が心であるなら、徳高いことが善い私。
しかし善い私で居続けることは難しい。
善い私でなくなることに恐れを感じる。
私が無であるなら、善いも悪いもない。
無になっても、私はそこにいるのだ。
いつまでも無で居続けることはできない。
無でいることは偽りなのだ。
私が存在であるなら、そこに有も無もない。
存在は目に見えず、確かめようがない。
確かめられないなら、それは私なのだろうかと思う。
私はいったい誰なのだろうか。
私がここにいることだけは確かなこと。
その私は身体でも心でもなく、無でも有でもない。
それでいて、無でもあり有でもあり、身体や心だ。
そう考えているのを知る私がそこにいる。
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