超人ザオタル(3)道の賢者
私は道を歩むことに歓びを感じるようになっていた。
私の価値はこうして道を歩くここにあるのだ。
誰かの道の選択を待ち、それにしたがって歩いていく。
それが春のような気持ちのいい道であれば、選択者を褒め称える。
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それが凍てつく山道であれば、選択者を責めればいい。
そうすれば辛くても私の気は晴れるのだ。
道を行くことは一種の駆け引きになった。
ときには自分が先導者になって痛い目にあうこともある。
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失敗して大勢の人に責められるのは気分のいいことではない。
だがそれはそれで先導者としての誇りがある。
少なくとも自分は道を選択したのだ。
無責任にあとについてきた輩とは違うという気持ちになる。
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間違った選択をした先導者にも理屈はある。
自分がそうなっても、誇りを持ってその理屈で道を歩むのだ。
そういった駆け引きが私の道を歩む意味になった。
そこに私は道を歩む価値を見出して力強くなった。
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何であれ価値があれば、道を歩むことに疑問はなくなる。
歩めばいくらでもその価値は道に転がっているのだ。
私はただそれを拾い上げればよかった。
それが私に与えられた贈り物のように感じた。
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だがそれで確実に私の歩みは遅くなった。
何かを拾えば、それが経験の記憶という重石になっていく。
私はそれを価値として自分に結んで歩いていかなければならない。
そうすると何もかもがゆっくりと進むようになった。
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ただ自分の歩みの遅さでさえ、回りの人々の流れとそう違わない。
それで自分の歩みが遅いことさえ分からなくなった。
その流れを自然で普通のことになるよう自分の感覚を合わせたのだ。
それが異常なことだと気づくことはそうして封印された。
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人々はみな紐に結ばれた重石を引いていた。
その辛さがあってこその自分なのだ。
どれだけ重いものを引いているかが自分の価値になる。
それが自分の尊厳と誇りになって輝いていた。
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それで誰かの重石を引き受けることもある。
それは人々から称えられると同時に嫉妬の対象になった。
私はその重さを歓び、人々にそれをひけらかした。
それは自分の価値を高める特別な手法として定着した。
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道はまだまだ続いていた。
それは終わる気配すらなかった。
私はいかにして上手く道を歩むかということだけを考えるようになっていた。
どうすれば、この道が終わるかということを考えなかったのだ。
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それがその道の終りを迎えない理由だった。
もちろんその理由を私が知ったのはかなり後のことだが。
私はいかにして道を歩むかの高度な知識を持つ賢者になった。
賢者となった私はその誇りを身に重い足取りで堂々と道を歩んだ。
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